「ジェンダー観点からみた韓国社会の兵役拒否に対する烙印と抵抗」
江原大学社会学科助教授(講演時はソウル大学研究教授)
カン・インファ 氏
1.はじめに
韓国の憲法裁判所は、2018年6月28日、良心的兵役拒否者に対する代替服務制度を備えていない兵役法第5条第1項が憲法不合致であると決定しました。また憲法裁判所は代替服務制度を立法するように命令しました。これとともに2018年11月1日、韓国の最高裁判所の全員合意体は良心的兵役拒否が兵役法第88条第1項に規定された「正当な事由」に該当するとみなし、既存の判例を変更し、初めて無罪主旨の判断を下しました。
これによって2020年1月1日、ついに「代替役の編入および服務などに関する法律(法律第16851号、2019年12月31日制定)」が施行されました。この法律(以下では「代替役法」とします)は、兵役拒否者に矯正施設などで合宿〔通勤ではなく泊まり込み〕服務をするよう明示したのです。兵務庁は法務部の要請に従い、2020年度の代替役服務人員を106人と定め、2020年10月26日と2020年11月23日にそれぞれ63人と43人の代替役の召集を実施しました(代替役審査委員会、2021:30頁)。2023年6月30日を基準に、合計3104人の良心的兵役拒否者が代替役への編入を申請し、(撤回をしたなどの68人と処理中にある69人を除き)2958人が認められ、6人が棄却、7人が却下されました(代替役審査委員会内部資料による)。2023年9月末の時点で1173人が全国の矯正施設で代替役の服務中であり(「兵役拒否代替服務者、初の召集解除…1173人が全国矯正施設へ」『中央日報』2023年10月24日)、2023年10月25日の時点で3年間の服務を終えた60人あまりの第1期の代替役の召集解除者が「社会」に復帰しました。
このように長い間、良心的兵役拒否者を処罰してきた韓国社会が、彼らに代替服務の機会を与えるという変化を見せはじめたのです。しかし〔大多数が兵役時に服務する〕陸軍の現役の義務服務期間が18カ月であるにもかかわらず、代替役の服務者は現役の2倍である36カ月を服務しなければなりません。長い服務期間と矯正施設内の合宿という服務方法、代替役に編入した後にも実際に服務を開始するまで長時間待機しなければならないなどの理由によって、代替役は「懲罰的」という批判を受けています。これは良心的兵役拒否者が法的処罰の対象から代替役の編入対象に転換されたにもかかわらず、兵役拒否に対する社会的認識の変化なしに「国民/男性の基本義務を忌避しようとするという」既存の烙印が持続していることの反証でもあります。
今日の発表ではジェンダーの観点から韓国社会の兵役拒否に対する烙印と抵抗を検討したいと思います。あまりにも当然の事実ですが、兵役拒否の事案は社会構成員に兵役の義務を強制する韓国の徴兵制度の運用と密接に関連しています。しかし多くの場合、現在のような形態の徴兵制度が形成された歴史的過程と社会的過程についての問いは後回しにしたまま兵役拒否の問題を別個の事案として扱ってきました。私は今日の発表を通して韓国社会の徴兵制度が形成されてきた歴史的過程を振り返り、これを良心的兵役拒否に対する(ジェンダー化された)烙印と関連して検討してみたいと思います。そして世界的な脱冷戦、そして韓国社会の〔1987年の〕民主化以降に登場した兵役拒否運動の過程に現れた兵役拒否者に対する烙印と、これに対する抵抗をジェンダーの観点から見ていきたいのです。
韓国の徴兵制の運用は現役兵としての軍服務以外にも、社会服務要員、産業技能要員、専門研究要員などのさまざまな分野と形態の代替服務を含んでいます。それにもかかわらず、しばしば代替服務制度は良心的兵役拒否者に兵役に代わる義務を課す事案と関連したものとのみ理解されてきました。現行の「兵役法」(法律第19081号、2022年12月13日一部改訂)と「代替役法」でも、兵役拒否者に付与された義務を「代替役」と命名し、代替役に編入された人々を「代替服務要員」と呼んでおり、代替服務の概念の混乱がさらに増しています。当事者の良心に従い服務の類型が決定される形態を代替服務制と定義するのが最も狭義の概念であり、代替服務制度を幅広く定義する場合、これは軍の部隊に在営して服務する現役および〔兵役後に定期的に軍事訓練に従事する〕常勤予備軍を除いたすべての形態の服務制度を意味します(韓国兵役政策研究所、2001:249頁)。私が発表で使う兵役代替服務制度という用語は、良心的兵役拒否者に付与された代替役だけでなく、兵役義務の対象に現役の軍服務ではない形態で服務義務を課する制度を意味します。
2.韓国徴兵制度と兵役「代替」義務の制度化
(※本節の内容はカン・インファ(2021)「兵役を通した市民資格の形成:1960年代兵役未畢者〔兵役を済ませていない人〕のあぶりだしと救済」『社会と歴史』[韓国語]、カン・インファ(2022)「兵役代替服務制度の歴史的構成:「剰余資源」管理と発展への動員」『社会と歴史』[韓国語]にもとづいている。引用時には原文を参照していただきたい。)
韓国では1949年の兵役法制定によって男性一般の軍服務が義務化されました。しかしこれは対象者のほとんどを徴集する普遍的(universal)徴兵制の実行を意味しませんでした。朝鮮戦争以前までの兵力規模は約10万人であり、兵役対象者すべてを徴集する理由がありませんでした。普遍的徴兵制は朝鮮戦争勃発以降、重大な兵力規模を維持する過程で導入されました。ところが「普遍的(universal)」な徴集において、学力・階級に従い兵役を差等配分する「選別的(selective)」運用方法が適用されました。総力戦の状況においても維持された在学生徴収延期措置と、1957年の兵役法改定での大学在学生服務期間短縮は、一般服務者たちの負担と対比をなし、大きな論争を引き起こしました(カン・インファ、2019)。1950年代、兵役制度の運用過程で累積した軍服務者たちの不満は、1960年の4・19民主化革命の時期の「兵役未畢者〔兵役を済ませていない人〕あぶりだし」の要求へと繋がりました。これを根拠として朴正煕政府は「兵役未畢の公務員」の無条件的な解雇を意味する未畢者あぶりだしを断行しました。韓国政府は兵役義務から免除されたり徴集の遅延などによって本人の意思とは関係なく兵役を済ませることができなかった/済ませていない状態の「未畢」を故意的に「忌避」と同一線上に置き、これをすべて一掃しなければならない「旧悪」の代表とみなしたのです。1961年6月20日に制定・施行された「兵役義務未畢者に関する特別措置法」は、未畢者あぶりだし措置の法的な基盤でした。
兵役「代替」概念の提示
1961年5月16日のクーデターで登場した朴正煕政府は「兵役」概念と「兵役未畢」状態を再定義しました。朴正煕政府はあぶりだし措置によって「社会的不具者」となった兵役未畢者たちが社会・経済的地位を回復するためには義務履行が先行しなければならないと主張しました。1962年、国土建設団の建設服務が兵役未畢者の救済のための兵役「代替」義務として提示されました。この事業は失敗に終わり、これを通して代替服務が制度化することにはなりませんでした。しかしこのような試みは、兵力資源の需給不均等などによって本意とは関係なく軍服務を済ませることができなかった人々皆が「未畢・忌避者」として現役軍服務ないしはこれに代替する義務を済ませるときまでは「兵役畢者〔兵役を済ませた人〕」と同一の社会的地位を得ることができない、という態度を形成することになりました。このようにして兵役未畢者の社会・経済的地位を保留・剝奪した後に、彼らの身分を回復させる「救済」の過程において、現役軍服務ではない勤労行為などで兵役を「代畢」、「相殺」できるという、兵役「代替」概念が提示されたのです。
兵役「代替」義務の制度化
韓国では1960年代後半、安保危機の高まりをもとにして郷土予備軍〔兵役後の予備役〕と戦闘警察隊〔兵役時に警察機動隊に配備された部隊〕という「後方」の治安と関連した任務が兵役「代替」義務として制度化されました。これに加え、「自主国防」を名分に経済発展政策に兵役対象者がこぞって活用されはじめました。1973年、「兵役義務の特例規制に関する法律」(法律第2562号、以下「兵役特例法」)制定によって兵役代替服務が全面的に制度化されました。兵役特例法第1条は「兵役義務に関する特例を規制」し、「兵役義務を公平に負荷」し、「国防力の強化に寄与することを目的とする」となっています。しかし兵役特例法は「特別な例外」を規制する目的とは反対に、経済・産業分野に兵役資源をこぞって活用させるようにする、徴兵制運用上の例外措置を本格化しました。ここから韓国の徴兵制度は代替服務を含む拡大された「兵役」概念に従い、急激に増大した男性人口を全面的に吸収・活用しはじめました。
3.兵役義務のジェンダー化/普遍化
(※本節の内容はカン・インファ(2023)「軍加算点制度はどのように「ジェンダー葛藤」の戦線になったのか?:兵力動員‐補償体制の形成と動揺」『韓国女性学』[韓国語]にもとづいている。)
兵役概念の拡張を土台にして男性人口全体を徴兵制度へと全面的に吸収しようとする朴正煕政府の方針は、兵役回避に対する徹底した監視と取締りを伴いました。兵役回避者を懐柔し、兵役履行を正常化しながら普遍的実践へと構成していく過程は、男性らしさの定義に関するジェンダー政治にもとづいていました。朴正煕政府は忌避者の処罰を強化するに先立って自首申告手続きを実施しました。「大韓ニュース」〔劇場で上映される短編ニュース映画〕第721号(国立映画製作所、1969)は自首申告を広報するなかで「ただ一度の最後の機会」という点を強調します。広報映像に登場した俳優ペク・イルソプは次のように語ります。
「いわゆる男のなかの男だと尊敬される私たちが、他のことは知らずとも国土を防衛する神聖な兵役義務を回避するというのは人格に関する問題だと思います。一言でいって小心者じゃないですか。反省するべきだと思います」。
このように韓国政府は当時の男性性を代弁する人物を掲げて兵役を避けようとする態度が「男のなかの男」らしくない「小心者」の行為であり、「人格」の欠陥を表すことなのだと叱咤したのです。兵役履行を勧める言説において、人間としての品格を意味する「人格」は「神聖なる兵役義務」を履行しようとする態度によって表象される男らしさと繋がったのです。
兵役を避けようとする態度を卑怯で男性性が欠如した行為として烙印づけるのは軍服務の履行を男らしい行為として意味化する作業と連動します(カン・インファ、2010:111頁)。韓国の冷戦・分断秩序が固着した時期、徴兵制の運用過程において軍服務者の男らしさが奨励され、軍事化された男性性のヘゲモニーが強化されました。軍畢者〔兵役を済ませた人〕男性として表象される好戦的な男性性、または凛々しい男性性は韓国において支配的男性性として位置付けられました。
兵役忌避を男性性が欠如した行為として意味化し、兵役履行を最も男性らしい実践として奨励する作業は、「女性」の名前でも行われました。1975年6月、忠清南道の地方兵務庁が主催した兵舎入営式の場で、ホンソン郡のセマウル女性団体は「兵役忌避者には嫁に行かないぞ」と書いたプラカードを持って参加しました(図1参照)。これについて当時の忠清南道の地方兵務庁長であったイ・ソニは「入営する男の士気を高め」、兵役に対する「立派な参加意識を見せてくれたもの」と評価しました(『京郷新聞』1975年6月12日)。このような事例が明らかにしたように、冷戦時の韓国では兵役回避者の男性性を疑う行為を通し、軍服務と関連した男性らしさを判別し、軍服務者の男性らしさを讃え、兵士の士気を高めることが兵役と関連した望ましい「女性」の性役割として奨励されたのです。
図1「兵役忌避者には嫁に行かないぞ」(ホンソン郡セマウル女性団体)。『京郷新聞』1975年6月12日。
図2「男の王選抜大会」(1967年慶尚南道兵務庁)。兵務庁(1992:14頁)。
安保危機を契機に徴兵制度が再整備される間、軍部隊のなかでは「男の王」を選抜するなど、男性性を自慢し軍人らしさと男性らしさを一致させる作業が持続しました(図2参照)。冷戦期の韓国政府は性役割の固定観念に立脚したジェンダー政治の活用と男性性および女性性のジェンダー化された動員を通して兵役義務の履行を奨励し、兵役忌避を監視・規律しました。これによって兵役は「軍人/男性」に付与された基本的な性役割であるとともに最も男性らしい実践として意味化されました。女性にとっては男性兵士の国家防衛行為に対する感謝と賞賛、慰安の役割が課されました。ジェンダー化された言説的実践は男性の兵役義務履行を奨励する強力な装置として機能しました。
他方で、「銃」の代わりに「スコップ」を持てと提示された兵役「代替」概念の制度化が持つ逆説は、現役軍服務の「代替可能性」を前提にした代替服務が、義務として強制されたにもかかわらず現役服務を完全に代替することは「不可能だ」という論理によって、包摂を通した排除とヒエラルキー化を生じさせたという点です。韓国で代替服務を含む徴兵制の運用は女性と男性の間のジェンダー化されたヒエラルキーに加え、現役軍服務を基準に男性たちの間のヒエラルキーを量産しました。
4.取締り・処罰強化と兵役拒否への「異端」の烙印
朝鮮戦争勃発とともに徴兵制の運用が本格化されましたが、1960年代後半に至るまで相当数の兵役拒否者たちが存在しました。兵役忌避発生率は1960年に35%、1961年に27%でしたが、朴正煕政府が登場して1年目である1962年に6.9%で最も低く、1963年に10.2%、1964年に14.4%、1965年に22.9%、1966年に22.6%、1967年に19.5%へと再び増加しました(兵務庁、1985:750頁)。兵役特例法制定によって兵役「代替」義務が制度化された時点は1973年、政府は「兵役法違反などの犯罪処罰に関する特別措置法」(法律第2455号)を制定し、忌避者取締り・処罰を強化しました。この過程で良心的兵役拒否者たちは強制入営の対象になりました。
政府は「兵務行政刷新指針」(1973年2月26日、大統領訓令第34号)を制定し、1974年を「兵役忌避一掃の年」として宣布しました。良心的兵役拒否者の絶対多数を占めていた「エホバの証人」信徒たちは「兵役忌避一掃」方針に妨害になると非難と烙印の対象になりました。兵務庁は「エホバの証人」の兵役拒否者を「国民総和阻害事犯」と規定し、検察に「エホバの証人信徒の兵役忌避者の取締り処理協調」を依頼しました(兵務庁[1974年5月16日]「エホバの証人信徒の兵役忌避者の取締り処理協調」国家記録院管理番号CA0130898)。「宗教的良心を理由に兵役を忌避する者たちの行為は国民や他の信徒に国民総和体制を阻害する悪影響を及ぼすこと」であると主張しました。
兵役拒否に対する烙印と処罰は国防上必要な兵役資源をはるかに超過する大規模人員の徴集を強制する重要手段でした。良心的兵役拒否者たちは兵役免除対象に含まれなかっただけでなく代替服務の機会を与えられなかったまま「男性らしくない」、「忌避者」、「非国民」、「国民総和阻害犯」として烙印を押され、社会から排除されました。これを通して宗教的・社会的「異端」の行為として認識された良心的兵役拒否は、2000年代に至るまで過酷な処罰の対象としてのみ扱われました。
5.良心的兵役拒否運動の登場
(※本節の内容はカン・インファ(2010)「兵役、忌避・非理・拒否の政治学」『女性と平和』5号[韓国語]にもとづいている。)
韓国で良心的兵役拒否はプロテスタントの少数宗派の宗教的で反社会的な行為とみなされ、社会的関心の外へと追いやられていました。2001年2月『ハンギョレ21』は「エホバの証人の兵役拒否収監者が1600人に達する」と報道しました。同年12月、エホバの証人の信徒では「ない」オ・テヤンさんが兵役拒否を公開的に宣言しました。これを契機にして兵役拒否者に実刑を宣告してきた慣行を中断し、いっさいの軍事活動が排除された代替服務の導入を要求する市民・社会団体の活動が始まりました。反戦主義、平和主義、反資本主義、クィア、生態主義などの信念を理由とする兵役拒否の公開宣言が続いていくなかで、良心的兵役拒否は宗教・社会的「異端」の非政治的な行為から発展した脱軍事化を模索するラディカルな平和運動として認識されはじめたのです。
韓国社会において兵役の義務は、軍人らしさにもとづいた集団化された男性性を国民アイデンティティの土台にしてきました。しかし男性たちすべてが同一のやり方で兵役を履行するわけではありません。現役の軍服務とともに多様な代替服務が運用され、戦闘を担う現役の軍服務を中心として国民/男性たちの間の象徴的なヒエラルキーが形成されています。2000年代初め「銃を取れない」という男性たちの公開的な登場は、軍事力にもとづいた国家安保の当為性、軍事安保担当者としての男性アイデンティティを問いの対象にするものであり、社会全般の脱軍事化と平和に至る問題を提起しました。兵役拒否運動は軍事化された男性性と同質化された男性/国民という観念に挑戦し、男性たちの間の差異を可視化させたのです。
良心的兵役拒否者の公開的な登場は、少ない人数であったにもかかわらず激烈な論争と反発を呼びおこしました。「良心の自由」(兵役拒否権)と「国防の義務」のうちで、何が優先されなければならないのか、という問いとともに、「良心」という用語をめぐる強い反発が生じました(「軍服務を拒否することが「良心的」であれば、軍隊に行くことは「非良心的」だということなのか?」)。兵役拒否は他の男性たちの苦労に頼って「保護」してもらうのだという、男性らしくない(「忌避」)行為だと非難されたのです。
他方で、個人の良心と国民の義務を調律する方案として兵役拒否者に対する代替服務制度導入が要求されました。しかし「命を懸けた犠牲」として意味化される兵役義務は、いかなるものによっても代替され得ないという理由で、兵役拒否者の人権保障のための代替服務制導入は否定され続け、遅延されました。〔各部隊に配置される前に受ける〕「4週間の軍事訓練すら受けることができない」という兵役拒否の信念は、法的な処罰を受けて当然であると主張されました。軍人になることを拒否する男性が存在する場所は社会の外である刑務所でした。兵役拒否権の主張に対する反発の過程で、兵役義務は命を懸けた犠牲であり国民/男性の道理としてその位相を確固たるものにしていきました。
2020年、兵役拒否者に対する「代替役」制度が導入される前までは、良心的兵役拒否者たちは代替服務の対象から排除されてきました。その反面、韓国政府は「外国においても兵役義務者を軍人とは異なる身分で正規軍以外の部隊や機関に配置することで人力を活用する例は少なくなかった。たとえば、かつて徴兵制下の米国では良心的忌避者を徴集に代えて海岸および地理観測所や公衆保険所などで勤務させた例があった」(兵務庁、1986:220)とし、代替服務制度の運用の普遍性を主張しました。韓国政府は現役服務の対象者に対し、これを代替する義務を付与し、兵力資源を「活用」する代替服務制度の「起源」を、海外の良心的兵役拒否者に対する代替服務適用から探しだしたのです。しかし実際の韓国の良心的兵役拒否者たちは、現役軍服務の「代替不可能性」を理由に法的処罰の対象としてのみ扱われてきました。
6.兵役拒否者への代替服務導入の要求:烙印と「抵抗」
社会的烙印のなかに置かれた兵役拒否運動は、良心的兵役拒否者の人権保障のための代替服務制導入という課題の前で、運動の公式的な論理と非公式的な論理を調整し、反対の世論を説得するために努力しました。このとき、兵役「忌避」と重なる兵役「拒否」の諸理由は、公式的兵役拒否の事由からかなりの部分が除外されました。兵役拒否運動は強い信念と道徳性の所有者によるものであることを立証し、弱々しさを拒否する姿を通して「男性性が欠如した忌避」という認識から脱皮し、正常な男性性と男性らしさを立証しようとする姿を見せもしました。これは兵役履行者たちの怒りと被害意識が公然と表出される状況において、兵役拒否運動と個別の兵役拒否者たちが取った戦略でした。メディアを通して兵役拒否者たちは軍隊の「代わり」に刑務所に行くという、信念の強者として再現されました。また、国民の義務を拒否するのではなく、軍事活動が排除され、自分の良心に反しないのであれば、それが現役の軍服務と比べて、さらに長い服務期間と困難な条件であったとしても、それを受け入れるという態度を取りました。
軍事活動が排除された兵役「代替」義務の要求は、支配的男性性と国民の役割において変化を呼びおこすものでした。しかし兵役拒否者の人権保障のために代替服務制の導入を心から求める過程において現れる兵役拒否の主体は「国家と社会のために身心を捧げ献身する」主体でした。国家に寄与する資格と寄与の程度によって社会構成員の地位がジェンダー化、ヒエラルキー化している社会において展開されるこのような説得と抵抗の論理は、国家構成員たちのヒエラルキーを一定のままにし、義務の主体である男性たちの間の連帯にもとづいた家父長制的国家主義言説のなかに包摂される姿を見せもしました。断定的に話すことは難しいですが、韓国において代替服務制度が導入される前までは、兵役拒否運動は軍人になることを避け、兵役を回避・忌避しようとする態度に連帯し、軍事化された男性性を問題にするというよりかは、「忌避」ではない「拒否」であることを強調しながら兵役義務者たちとの(男性)連帯を通した兵役拒否権と代替服務制の導入を勝ちとろうとしたという点で限界があったと言えるのです。ありがとうございました。
参考文献
- カン・インファ(2010)「兵役、忌避・非理・拒否の政治学」『女性と平和』5、92-117頁(강인화 (2010), 「병역, 기피·비리·거부의 정치학」『여성과 평화』5,92-117.[ https://www.dbpia.co.kr/journal/articleDetail?nodeId=NODE01698759 ] )。
- カン・インファ(2019)「1950年代の徴兵制と朝鮮戦争の「戦後」処理-兵役負担の公正性と兵役法改定の論議」『法と社会』62、185-213頁 (강인화 (2019), 「1950년대 징병제와 한국전쟁의 ‘전후(戰後)처리’: 병역 부담의 공정성과 병역법 개정 논의 (1950-1957)」『법과 사회』62, 185-213. [ http://dx.doi.org/10.33446/KJLS.62.7 ] )。
- カン・インファ(2021)「兵役を通した市民資格の形成——1960年代兵役未畢者あぶりだしと救済」『社会と歴史』131、101-134頁 (강인화 (2021), 「병역을 통한 시민자격의 형성: 1960년대 병역미필자 축출과 구제」, 『사회와 역사』 131, 101-134. [ https://dx.doi.org/10.37743/SAH.131.3 ] )。
- カン・インファ(2022)「兵役代替服務制度の歴史的構成-「剰余資源」管理と発展への動員」『社会と歴史』133、181-216頁 (강인화 (2022), 「병역 대체복무제도의 역사적 구성: ‘잉여자원’ 관리와 발전에의 동원」, 『사회와 역사』133, 181-216. [ https://dx.doi.org/10.37743/SAH.133.4 ])。
- カン・インファ(2023)「軍加算点制はどのように『ジェンダー葛藤』の戦線になったのか?兵力動員-補償体制の形成と動揺」『韓国女性学』39巻1号、1-35頁 (강인화 (2023),「군가산점제는 어떻게 ‘젠더갈등’의 전선이 되었나?: 병력동원-보상체제의 형성과 동요」, 『한국여성학』39(1), 1-35. [https://dx.doi.org/10.30719/JKWS.2023.03.39.1.1])。
- 代替役審査委員会(2021)『第一次代替役審査委員会年間報告書2020.6.30.~2021.6.30.』(대체역 심사위원회 (2021), 『제1차 대체역 심사위원회 연간보고서: 2020.6.30.~2021.6.30.』)。
- 兵務庁(1985)『兵務行政史(上巻)』 (병무청 (1985), 『병무행정사 (상권) 』)。
- 兵務庁(1986)『兵務行政史(下巻)』 (병무청 (1986), 『병무행정사 (하권) 』)。
- 韓国兵役政策研究所(2001)『兵務行政史-1984-2000』 (한국병역정책연구소 (2001), 『병무행정사: 1984-2000년』)。
○松田: カン先生、ご報告をどうもありがとうございました。では、続きまして、チェ・ジョンミン先生のご報告に移りたいと思います。チェ先生のご報告のタイトルは、「韓国の兵役拒否運動 紹介及びその中でのフェミニストの役割」です。それでは、チェ先生、よろしくお願いします。
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