■本記事の掲載にあたって
『社会運動史研究』編集委員会 大野光明
本記事は、2024年1月14日に京都女子大学を会場に開催されたシンポジウム「ジェンダーの視点から考える兵役拒否——韓国の事例から」(主催:科学研究費助成事業「ドイツ・韓国における兵役拒否者/運動の比較研究——立憲主義の観点から」代表:市川ひろみ、課題番号:21K01338)の記録です。
本記事に掲載する市川ひろみさんの報告にあるように、兵役拒否の実践と運動の歴史は長く、18世紀にはヨーロッパと北米の各国で兵役拒否が権利として制度的に認められていくようになりました。日本では、アジア太平洋戦争中の灯台社のメンバーによる兵役拒否とそれへの弾圧が知られてきましたし、ベトナム戦争中の米兵の兵役拒否運動と日本の反戦運動との連携の歴史についてご存知の方も多いと思います。
このシンポジウムでは韓国での兵役拒否運動のアクティヴィストであるチェ・ジョンミンさん(NGO「戦争なき世界」)、兵役拒否運動の歴史と現在を研究してきたカン・インファさん(ソウル国立大学研究教授)が招かれ、講演されました。そして、お二人の報告に対し、大野からコメントがなされ、登壇者と参加者での全体討論も行われました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻と戦争の長期化のなかでロシア軍とウクライナ軍の双方からの脱走に関する報道がつづき、ガザでのジェノサイドをめぐってはイスラエルでの兵役拒否の歴史があらためて想起されているように、兵役拒否というテーマは軍事化が進む現代世界にあって重要でアクチュアルなテーマです。しかし、日本社会ではどうでしょうか。「戦後」80年をむかえる日本社会では、兵役制度が設けられなかった一方で、日米安保によって軍事的な機能を沖縄などへ集中させ、朝鮮半島の軍事的・政治的緊張状態を維持する歴史が積み重ねられてたといえます。兵役拒否というテーマが日本社会において「遠い」のだとすれば、その「遠さ」こそを再検討する必要があるとも思います。
また、本シンポジウムでは、兵役拒否運動がこれまで男性兵士・アクティヴィストを中心につくられ、論じられてきたことが批判的に議論され、ジェンダーの視点からの再検討が行われており、兵役拒否運動史や反戦・反軍事の運動史をとらえかえす重要な論点が多く含まれています。
このようなシンポジウムの意義と重要性をふまえ、『社会運動史研究』ではシンポジウムの記録全文をここに掲載します。充実したシンポジウムの記録は長文になるため、下記目次のとおり記事を4つにわけています。
(謝辞) 記事掲載にあたってシンポジウムの登壇者であり記事執筆者である市川ひろみさん、カン・インファさん、チェ・ジョンミンさん、シン・ヒョンオさん、松田哲さんに多大なご協力をいただきました。また、影本剛さんには本記事の原稿の翻訳、カンさん、チェさんとのやりとりなどに尽力いただきました。みなさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
<目次>
市川ひろみ「趣旨説明・兵役拒否運動についての概説」(本記事下部)
カン・インファ「ジェンダー観点からみた韓国社会の兵役拒否に対する烙印と抵抗」(記事②)
チェ・ジョンミン「韓国の兵役拒否運動 紹介及びその中でのフェミニストの役割」(記事③)
大野光明によるコメントおよび全体討議(記事④)
○松田哲(京都女子大学): 皆さん、こんにちは。お集まりいただきありがとうございます。本日は、「ジェンダーの視点から考える兵役拒否 ―韓国の事例から―」というタイトルのもと、3時間ほどになるかと思いますが、公開シンポジウムを開催させていただきたいと思います。私は、ところどころで司会をさせていただく、現代社会学部の松田と申します。どうぞ、よろしくお願いします。
さて、本日のテーマは、「兵役拒否」でございます。この兵役拒否という概念は、ご近所の国・韓国で、重要な役割を果たしている概念です。ですが、日本に住む私たちにとっては、やや馴染みの薄い概念かと思います。もちろん、私にとっても、です。
そこで本日は、まず、このシンポジウムの主催者でいらっしゃる京都女子大学法学部の市川ひろみ先生に、兵役拒否の全体像についてのご説明をしていただくことになっております。また、合わせて、本シンポジウムの趣旨説明もお願いしております。市川先生には、30分ほど、お時間を差し上げますね。
市川先生のお話が終わった後は、韓国からいらっしゃった、カン・インファ先生とチェ・ジョンミン先生に、それぞれ40分ほどのご報告をお願いしております。お二人のご報告をお聞きいただいた後は、休憩を挟んでから、あちらにいらっしゃる大野光明先生からのコメントをいただきます。そして最後は、質疑応答とパネルディスカッションです。本日は、以上のような流れで進めて参りたいと思っております。
なお、カン先生とチェ先生のご報告、大野先生からのコメント、その後の質疑応答とパネルディスカッションでは、通訳の方に、逐次通訳をしていただきながら進めて参ります。本日、通訳をしてくださるのは、立命館大学のシン・ヒョンオ先生です。シン先生、長丁場になりますが、よろしくお願いします。
それでは早速、市川先生に、シンポジウムそのものの趣旨説明、兵役拒否運動についての概説的なご説明、そして、ご報告なさるお二人の先生のご紹介をなさっていただきたいと思います。では、よろしくお願いします。
■趣旨説明・兵役拒否運動についての概説
京都女子大学法学部教授
市川ひろみ
皆さん、お集まりいただきましてありがとうございます。このシンポジウムを企画しました市川です。私は、ずっと兵役拒否に関心がありまして、ドイツを中心に研究してきました。兵役拒否を研究していると、必ず世界で一番たくさん兵役拒否を理由に投獄されている国というので、韓国がずっと気になっていました。その韓国では、いったいどんな兵役拒否なんだろうということに関心がありました。
兵役拒否はもともと歴史をたどっていくと、ヨーロッパ、古代ローマにたどり着きます。キリスト教のバックグラウンドがあって出てきた考え方です。では、キリスト教のバックグラウンドがない社会では、どんなふうに兵役拒否というものが考えられたり、受け入れられたりしているのかということに関心を持つようになりました。そこで3年前からシン先生と共同研究を始めまして、韓国についても勉強してきたところです。
兵役拒否自体について、概念の確認も含めて、少し確認したいと思います。兵役拒否というのは、国が国民に対して、命を懸けてでも国を守りなさいという、それを拒否するというものですので、国のあり方を根源的に問う、問いを提起するものです。
国がそもそも何のために存在するかといえば、国民の生命・自由・財産を守るためのはずです。それが国の存在理由なわけですが、兵役というものを考えると、それと矛盾するような国家の動きが強く打ち出される。つまり、国の安全、国家安全保障が大切で、国家安全保障のためには武力が必要である。武力によって威嚇し、安全を達成しようとします。威嚇して、相手に攻撃を思いとどまらせようようとするもので、抑止論といったりします。この考え方では、相手は敵であるということになります。敵から自分たちを守るという考え方です。この「敵味方思考」がベースにはあります。このような考え方だと、軍事的に強くなければならないということになります。
さらに、国民が自ら武器を持って戦うというのはフランス革命のときからですけれども、それ以前は、武器を持てる人は一部の人たちで、一般市民の人たちは武器を持ってはいけませんでした。ここに、自ら武器を持って自分の国を守るというのは主権者としての権利であるという考え方が登場します。武器を持って国を守るのは、権利であり、義務である。国のために戦って、死んでしまったりとか、けがをしたりとかすることがあるので、自分の生命・自由・財産は守られないですけれども、そのような自己犠牲は、勇敢である証であり、兵士は勇敢な英雄なんだという―フィクションだと思いますけれども―このような論理があります。
(報告者作成)
国家の存在理由(国民の生命・自由・財産を守る)と国家の論理(国家安全保障のためには武力が必要で、主権者として国を守ることは権利であり義務である)は矛盾するものです。生命・自由・財産というけれども、そもそも生存権を侵害しています。兵士は自らの命を省みず、命令に従わなければなりませんし、その命令が自分の信仰とか信条とか信念に反する場合も、それに反して戦うことが強制されるということは、内面の自由の侵害ということになります。なので、兵役があるところで、徴兵制があるところで、兵役拒否をする人たちが登場しました。
兵役拒否は、時代によっても、国によっても、戦争があるときか、平時のときかとか、いろいろな場合がありまして、まとめてしまうことはできませんが、ざっくりまとめるとこのように分類することができます。大きくは、徴兵制の下での兵役拒否と、軍隊のなかでの命令拒否の2つです。この2つが狭義の兵役拒否(徴兵制)と広義の兵役拒否(軍隊内)です。
(報告者作成)
さらには「徴兵忌避」というものを書いています。これは兵役拒否できる制度がない場合やあってもそれを利用せず、徴兵に応じないというものです。兵役拒否と徴兵忌避の違いは、私は頑張って考えてみたいのですけれども、これを線引きすることは実際には無理です。何が違うかというと、「私はこうこう、こういう理由で兵役を拒否します」と、ちゃんと宣言するか否かです。自分の信念や信条、理由について宣言して兵役拒否するか、何も言わずに脱走するとか、国外へ逃げるとか、その違いでしかないなと思っています。私が論文を書くときには、これらを一体のものとして考えていますが、用語的には「兵役拒否」と使った場合は、徴兵忌避は入れないことが一般的です。
では、この徴兵制の下での兵役拒否についてです。これも3つに分けることができます。まず1つ目が免除型で、1700年代にヨーロッパで登場したもので、特定の宗派の人たち、キリスト教の宗派の人たちに、「あなたたちは非暴力の人たちだから、軍隊に行かなくてよろしいです」と、兵役すべてを免除をするというものです。
2つ目が1700年代末に北米で登場したものですが、「私たちは武器を持って戦うことはできないけれども、国のために何かしたいので、他の非戦闘任務をしたい」ということで、「じゃあ、野戦病院で働いてください」とかいうのが始まりです。これは代替役務型です。兵役には就くけれども、武力行使せず他の方法で任務を全うする。
しかし、代替役務だと、やはり「軍のあり方とか武力行使を認めてしまうことになるので、そのような役務には就けません」という人たちも、もちろん存在します。その人たちのために、民間役務型というものがあります。この場合は、軍とは関係がない、国とは直接関係がないような任務に就くというものです。これは第二次世界大戦後に登場しました。
こちらの軍隊内での命令拒否は、選択的兵役拒否といいます。人を殺すこととか武力行使をすること自体は大丈夫なのだけれども、だけどどんな命令にも全部「はい、はい」と言って従うわけではありません。自分の良心、軍人であったとしても良心、信仰、信念があるわけですから、それに反する命令には従わない。違法な命令には従えないとか。今のイスラエルとかそうだと思いますけれども、こんなことをしたら非人道的な結果になると思った場合に、その命令を拒否するというのが軍隊内での命令拒否です。
徴兵忌避については、今のロシアですごくたくさんの徴兵対象となる人々が国外に逃げているそうです。徴兵から逃れるのは、ずっとあったことです。今日、話していただく韓国についても、朝鮮戦争の前後は、忌避率が13%ぐらいでかなり高いものでした。というように、徴兵忌避というのは、ずっとあり続けています。
この類型を紹介したかった1つの理由は、今、国際的に兵役拒否権というのは権利として認められているということをお伝えしたかったからです。ここまでしないと兵役拒否権を尊重しているとは言えないよというのが、この2番目のところです、ピンクにしているところです。もし徴兵制を採用するのであれば、その国は少なくとも代替役務まではちゃんと準備しなさいよということです。最低限、武器を持てない人に対して、他の選択肢を提示しなさいということになっています。
(報告者作成)
この国際的なスタンダードができるようになったのも、実は韓国でたくさんの兵役拒否者の人が投獄されてきたことに遠因があります。彼らが韓国国内では自分の権利が守られないために、国連に人権救済の申し立てをするということをたくさんしてこられた。その結果、国連のなかでも兵役拒否に対する評価が変わっていったということです。
そして、国際裁判所、ヨーロッパ人権裁判所のなかで変化があるのは2000年代以降が多いです。冷戦終結後、しかも2000年代以降に大きな変化がありました。
では、韓国ではどういう人が兵役を拒否しているのか、どんな支援運動があるのかということの概観をお話ししたいと思います。韓国では、兵役拒否というのは長い時間、「あり得ないもの」、「そんなことは考えることさえできないもの」だったそうです。背景には、韓国の歴史があります。日本による植民地支配を受けていましたし、その苛烈な支配から解放されたはずなのに、今度は国土が分割されてしまいました。大国によって国家が分割された上に、朝鮮戦争が始まってしまうし、その朝鮮戦争がようやく停戦するのも、自分たちでそれができたわけではなくて、大国が介入して初めて停戦になったという経験があります。そこから、強い国がないからこのような経験をするのだ、強い国だけが国民を守ることができるんだという国家主義に繋がりました。
イスラエルも同じようなところがあります。ご存知のように、ホロコーストの経験があります。私たちからすると、ホロコーストからの生還者の人たちには「よく生き延びられた」と、敬意を抱くのですけれども、イスラエルでは「なぜ抵抗しなかったのか」と批判される対象でもあるそうです。それくらい、イスラエルの人たちにとっても、国が強いということはとても意味がある。
韓国においても、この国家主義、しかも強い武力を持たないといけないということで、社会全体が軍事化されている。ですので、「兵役拒否なんてあり得ない」ということになります。国を守るためには、敵がいつ攻めてくるか分からないのに、ちゃんと軍備を整えておかないといけないのに、自分だけ兵役に行かないなんて、そんなのはあり得ないという社会です。ですので、兵役拒否権は、当然、保障されていません。これは、昨年翻訳されて出たイ・ヨンスクさんという方の『兵役拒否の問い』という本です。イ・ヨンスクさんは、民主化運動とか兵役拒否の運動を支援されていて、自分も兵役拒否をされたのですけど、彼がここで書かれているのは、そういう自分でさえ、自分が兵役拒否をするということは考えられなかったと書かれているぐらい、兵役拒否は、「あり得ないこと」でした。
(報告者作成)
兵役拒否は、そのような「あり得ないもの」であったのですけれども、2001年から変化が見えるようになっています。これには、今日来ていただいている二人目のスピーカーのチェ・ジョンミンさんが大きな役割を果たされました。兵役拒否権が韓国でも認められるように、保障されるように活動をされるようになりました。それが2001年です。
そのような活動の成果もあって、2018年には、先ほど紹介した代替役務がないという形態は「憲法不合致である」という憲法裁判所の判決が出ます。これはとても画期的な判決で、ここから国は代替役務を整備しなさいということになりました。実際に2020年から代替役務制度が設置されているというのが現状です。
(報告者作成)
ですので、韓国の兵役拒否というのは、今はこういう状態です。国際的なスタンダードである2番、代替役務のところは整備されたという状態です。ただ、中身を見ますと、代替役務に行けるかどうかは、審査委員会で判断されます。私は兵役拒否をしたい、代替役務をしたいと言ったところで、すぐにできるわけでなくて、審査委員会が聴聞をして「あなたの良心は正しいです」と、「あなたの良心は十分ではありません」みたいなことを委員会が決めるということになっています。
この聴聞自体が結構厳しいらしくて、若い申請者の人を、たくさんの審査員がいろいろ問い詰めたりとかして、その過程自体が人権侵害になっていると、審査員をされている方からお伺いしました。
これでめでたくというか、「あなたは代替役務に就いていいよ」となったとしても、その役務は刑務所でのみ可能です。刑務所内に居留しないといけないし、行動制限は厳しいですし、しかも、そこでやっている仕事は、かつて兵役拒否をして投獄されていた人たちがやっていたことと同じことなのだそうです。待遇はもちろん違います。収監されている人と、そこで働いている人という違いです。食事もちょっと違うと言っていました。休暇を取ったりもできるそうなので、犯罪者扱いはされていないけれども、その役務に就いていたとしても、自分が平和のために働いているとは思えないような内容だそうです。上官からの嫌がらせもあるそうです。
そして、代替役務の期間は36カ月です。現役、軍隊での役務の倍ですので、これは国際的なスタンダードからすると、やはり長すぎる、懲罰的だと見られています。このように、韓国では兵役拒否が尊重されているとは言えない状況です。現在の韓国の兵役拒否運動では、代替役務をいかに民主化するか、多様化するかということが課題として掲げられています。
韓国の兵役拒否運動でとても特徴的だと思うのが、フェミニズム、ジェンダーの視点があるというところです。韓国の兵役拒否運動は2001年ぐらいからですけれども、当初から国際的な連帯を基盤にして活動をしています。国連とか国際機関の規約を使ったり、国連の勧告を積極的に利用するということをしていました。それが地方裁判所での無罪判決、兵役拒否をした人に対する無罪判決を引き出していく結果をもたらしていきました。
さらには、兵役拒否に限定するわけではなくて、反軍事主義的な活動としても連帯し、兵役拒否運動は平和運動として拡張されています。
そのなかでも特徴的なのがフェミニズムの視点です。先ほど、韓国では軍事力が強いことが重要視されていて、それもあって、徴兵制があって社会自体も軍事化されているというお話をしましたが、それを支えているものとして家父長制に注目されています。
徴兵制とか兵役の問題だけではなくて、社会全体のなかで戦争ができるようなシステムを支えていると言えますので、社会全体のなかで戦争システムを支えないようにしていくということをあらゆる機会をとらえて提唱しています。何人か女性の方が兵役拒否をするという宣言もされています。このように広い意味で兵役拒否をとらえておられます。以上が韓国における徴兵制、兵役拒否の制度的な状況と、兵役拒否運動についての話です。
今日、お話しくださいますカン先生は、修士論文のときに兵役拒否の人たちにインタビューをして論文を書かれました。その論文が韓国における兵役拒否運動に大きな転機、転換となったそうです。この作者のイ・ヨンスクさんも兵役拒否で刑務所に収監されている間に、カン先生の論文を読んで、すごく衝撃を受けたと仰っていました。もう一人のチェ・ジョンミンさんは、2001年から運動が始まりましたと言いましたが、そのときに始められた方です。ですので、韓国における兵役拒否運動を、まさに牽引されてきた方です。このお二人にお越しいただいて、本当に今日はうれしく思っています。
特に今日、お二人には、ジェンダーの視点からでお話しいただくことをお願いしています。それは、ジェンダーの視点から考えることで、兵役拒否がどのように受け止められている社会なのかが明確になります。徴兵制は、兵役に行く人だけの問題ではなくて、国全体・社会全体の問題だと思っています。その意味からも、今日は、ジェンダーの視点から考えていけたらなと思っています。ありがとうございました。
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○松田: 市川先生、ご説明をありがとうございました。今のお話にもありましたとおり、本日は、韓国の兵役拒否運動を率いてこられたお二人のお話をお聞きできるということで、非常に貴重な機会でございます。私も、興味深いお話が聞けるのではないかと楽しみにしているところです。では、最初に、カン・インファ先生に「ジェンダーの観点からみた韓国社会の兵役拒否に対する烙印と抵抗」というタイトルでご報告をお願いしたいと思います。カン先生、よろしくお願いします。
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