記録 公開シンポジウム「ジェンダーの視点から考える兵役拒否」④

 

○松田  それでは、休憩を終わりまして、質疑応答とパネルディスカッションに参りたいと思います。まずは、コメンテーターの大野先生から、コメントをいただきたいと思います。大野先生、よろしくお願いします。

 

■討論者からのコメント

滋賀県立大学准教授

大野光明

 

○大野: お二人からのお話を伺って、韓国で生きてこられたお二人と日本で生きてきた私と、「同じ」時代にいたとは思えない違いを感じましたし、日本と朝鮮半島との間にまったく異なる状況があった/あるということを改めて実感しました。

 私は基地・軍隊への抵抗運動について研究をしています。私がこのような研究に関心をもつに至ったのは、2003年のイラク反戦運動、そして、同時期に進んでいた沖縄の軍事化への抵抗運動に触れ、参加した経験がとても大きかったと思います。また、会場に小さなリーフレットを置かせていただきましたが、2013年からは京都府北部の京丹後市に新しい米軍基地を作る計画がもちあがり、それに反対する運動にも参加してきました。

 お二人のご発表へのコメントをさせていただいた後に、簡単な質問をしたいと思います。

 まずコメントの1つめとして、韓国から来てくださったお二人のお話を、日本でどのように聞くことができるのかという点を考えたいと思います。兵役拒否というテーマは、日本社会で日常を生きている私たちからは遠い事象としてとらえられてしまうからです。では、日本の私たちが「遠い」と感じてしまうのはなぜなのか。そのような私たちの感じ方自体を問題化することから、ここでの議論を深める必要があるのではないでしょうか。

 お二人のお話に共通していたのは、歴史を丁寧におさえる必要性でした。兵役拒否者たちの歴史を、植民地期、つまり日本が朝鮮半島を植民地化した時代からとらえ、その後の冷戦期、そして民主化運動の時代を経て現在まで、長い歴史のなかで考えようということです。日本による植民地統治の過程で朝鮮半島の軍事化は進み、兵役拒否は厳しく弾圧されることとなった。兵役拒否というテーマは遠い話に聞こえるかも知れませんが、日本が歴史的に作り出し、関わってきたテーマなのだということをまず再確認したいです。

 しかし、日本では、韓国における兵役をめぐる問題と日本との繋がりがまったく認識されていないように思います。たとえば、私の身近なところにBTSやK-POPアイドルのファンが多くいます。BTSのメンバーが軍隊に入隊した際の反応の多くに「彼らが退役するまで待ち続けよう」とか「入隊する彼らを応援しよう」という声がありました。逆に、「BTSのメンバーがなぜ入隊しなければいけないのか」、「韓国軍隊と日本社会とはどういう関係にあるのか」といった問いはほとんどなかったと思います。日本は朝鮮民主主義人民共和国との対立を作っている当事国の1つであるわけですから、韓国軍隊の現状と日本とは密接な関係にあるはずです。にもかかわらず、私たちは歴史的かつ今日(こんにち)的な想像力を欠いてしまっているのではないでしょうか。

 2つめのコメントとして、お二人から丁寧に提起されたジェンダーの視点について、さらに掘り下げてみたいと思いました。お二人が強調されていたのは、兵役拒否者たちの抱える困難が男性中心のジェンダー化された社会によって作り出されているという点でした。つまり、軍事化された社会は男性中心的な社会であり、「力によって社会は守られる」という価値観が強く、そのもとで「守る主体としての男」と「守られる客体/男を支える主体としての女」というジェンダー規範も作られる。そのような価値観と規範は、日常のなかで強化、反復され続けている。このような社会では、兵役拒否者たちは「弱い人間」、「国民ではない人間」、「臆病者」などと男性性から逸脱し、否定されるべき人間として理解されてしまう。兵役拒否者はジェンダー規範に抵触する存在だということです。よって、兵役拒否の可能性を広げていくためには、ジェンダー化された社会の変革が必要なのです。カンさんとチェさんのお話からは、軍隊と兵役をめぐる問題に批判的に介入するためには、ジェンダーの視点が必要不可欠だということがよく分かりました。

 お二人のお話でとても感動したのは、兵役拒否をめぐる問題に取り組んでいる人たちが自らの運動自体が抱え込んでいるジェンダー規範自体をも、自覚的にとらえかえし、批判してきたという点です。つまり、韓国での兵役拒否の運動が、拒否者を国家や軍隊に立ち向かう強く英雄的な男性性として描くこと、女性を拒否者=男性を支える人間として位置付けること、そのような運動や社会のなかにあるジェンダー規範を内在的に問題化してきたという点です。軍隊を拒否する運動がジェンダー規範を反復・補強してしまうという困難を、どう内在的に批判し、解きほぐしていけるのかというお二人の問題提起はとても重要だと思います。

 私はベトナム戦争期の米国軍隊内で戦争と軍隊に抵抗した人々の歴史を調査しています。研究を進めるなかで、兵役拒否者たちの運動、それを「支援」する人々の運動が、ともすると、よりましな軍隊を作ること、より民主的な軍隊――民主主義と軍隊、軍事主義とが両立するとは思えないのですが――を作ることへと収斂してしまったのではないか、あるいは国家と軍隊が運動をそのように回収してきたのではないか、そのように疑問を持ちました。すると、軍隊という暴力装置自体は温存され、セクシズムの強い組織、文化、イデオロギーは残り続ける。このように兵役拒否をめぐる声や活動は軍事主義と整合的なかたちで位置付けられてしまうことをどう考えればよいのか。

カンさん、チェさんが紹介してくださった韓国での議論と取り組みは、このような私の疑問に深い示唆を与えてくれます。軍隊をより良いものとするという枠組みではなく、軍事化された社会をどう変革し、別の社会へと作り変えていくのかという根源的な視点から、韓国の兵役拒否運動が展開されてきたということです。そのようなラディカルな視点は、フェミニストたちの豊かな知見からもたらされており、軍隊あるいは軍事化のプロセスが私たちの軍隊に対するとらえかた自体を規定し、限定してきたことを批判的に問うているからこそのものだと思います。

 以上をふまえて、いくつか質問があります。1つめに、チェさんはご発表のなかで、「戦争なき世界」では活動領域を拡大していったと話されました。それは具体的にどのような拡大だったのでしょうか。また、どのような議論を経て、拡大されていったのでしょうか。もう少し詳しく伺いたいです。

 2つめに、その点とも関わると思うのですが、「戦争なき世界」のタイムラインをめぐるお話のなかで、男性拒否者以外が活動できるようキャンペーンを行ったとのことでした。具体的にはどのようなキャンペーンを実施されたのか、もう少し伺いたいです。この取り組みは、ジェンダー規範を作り出す軍隊を批判しつつ、自らの運動のなかのジェンダー規範をも批判的に問い、運動のあり方を組み替えていく重要な試みだと思いました。このようなジェンダー的な介入が運動自体をどのように変えていったのか伺いたいです。

 3つめに、お二人のご発表は兵役拒否者たちの運動に焦点を当てられましたが、この運動を、たとえば、拒否を明確に言えない人たち、自らの経験を公言できない、訴えられない、さまざまな人たちの経験と繋ぐことは可能だとお考えでしょうか。たとえば、日本では、この数年の間、自衛隊のなかのセクハラやパワハラを告発し、それを支える動きが顕在化してきました。また、ジェンダーという視点を大切にすれば、軍隊にとどまらず、ジェンダー規範にもとづくさまざまな暴力や抑圧を、この社会のあらゆる領域や場に見出すことができます。それらに違和を唱えたり、声をあげる人々、それができなくとも違和感を持ち生きている人たちがいます。カンさんが使われた「スティグマ(烙印)」という言葉はこの文脈でとても重要だと思います。ジェンダー規範によってさまざまな傷――物理的な傷、精神的な傷、そしてそれらが予め社会的に否定され、否定的に意味づけられてしまうという意味での傷など――を抱えている人は多くいます。傷というものは、さまざまな人々を繋げるものでもあるとも思います。兵役拒否という問題を、軍隊を支えるさまざまな価値観や制度の広がりのなかで傷ついてきた人々、また、社会のなかのジェンダー規範と格闘し傷ついてきた人々との繋がりのなかで考えてみたいとも思うのですが、お二人はどのようにお考えでしょうか。

 以上です。どうもありがとうございました。

 

 

■討議

 

○松田: 大野先生、非常に示唆に富み、かつ、ご報告の内容をさらに発展させるようなコメントをありがとうございました。それでは、カン先生とチェ先生に、大野先生のコメントに対するご回答をお願いしたいと思います。ご報告いただいた順番でよろしいでしょうか。では、まず、カン先生、よろしくお願いします。

 

○カン:  日本という徴兵制がない国家において、非常に強い徴兵制を持っている韓国の徴兵制度、あるいは兵役拒否に関する話を聞いた印象はどうだったのだろうか。そのことについてお話をされましたね。

 私は博士課程では社会学を専門にしましたが、修士課程では女性学を専門にしていました。軍隊に行く義務が付与されていない女性として、軍隊について研究すること、あるいは軍隊に関心を持つことについて、不思議だという反応が多かったのです。

 修士論文は兵役拒否運動について書きました。博士論文では、韓国の徴兵制がどのように形成されたのか、現状のような特徴を持つことになった歴史的なプロセスについて概括しました。もちろん私が最初だというわけではありませんが、兵役義務のない女性がこのテーマに取り組んだ理由は何かと問われれば、韓国社会における、激しいジェンダー葛藤、それから若い世代のなかでの男女葛藤、ないしは女性に対する烙印・嫌悪が、「軍服務をやっていない自己中心的な女性」なるものと結び付いているのだと思います。

そういえば、2003年にイラク戦争反対の兵役拒否の宣言をした男性が登場した際には、ソウルの梨花女子大学の総学生会で支持の宣言を出しました。このことに怒った男性たちが、梨花女子大学総学生会のホームページや関連サイトに入って、いわゆるサイバーテロをやったということもありましたね。

 それから本日の報告では申し上げませんでしたが、軍隊に行ってきた人に労働市場の優先権を与える「軍加算点制度」というものが1968年から運用されるようになり、1999年に廃止されました。1999年に憲法裁判所で軍加算点制度に違憲判決が出されて廃止が決まった後は、兵役義務がある男性とない女性の間での葛藤が持続している状況です。ですから、この問題は、フェミニストのイシューであるしかないのです。

 そして女性という軍服務義務から排除された、ないしは例外とされた立ち位置からは、この問題を、当為としての制度・義務としてではなく問いの対象として、観察者的な視線でとらえることができるのではないかと思います。ですから、兵役義務がない女性という立場は、制度に対する強い問いかけを可能にするものとして使えると思います。

 それから、「徴兵制がない社会」から「徴兵されるのが当然だという社会」をどのように見るのかということこそが、この制度をさらに相対化させるような視点を提供するのではないかと思います。ただ私としては、皆さんが、韓国社会では何であのような状況になっているのだろう?、とか、特殊すぎて関心の対象にならない、とか思われたのではないかという懸念が少しあります。

 なぜかというと、2022年に、BTSに法的な兵役特例を与えるか与えないかという議論がありましたよね。それで、そのときに日本の共同通信の記者のインタビューを受けたのですが、それが日本の多くの日刊紙に報道されたと聞きました。ですが韓国では、この問題にあまり関心がなかったのです。なぜかというと、韓国は軍隊に行くのが当然の社会ですから。

 それから、討論者の大野先生のご質問にあった印象的な言葉、確か、傷を受けた者、弱者との連帯と仰ったと思いますが、私は、それこそが平和の可能性を開いてくれるのだと思っています。先ほど簡単に申し上げた、軍服務者による「兵役未畢者をあぶりだせ」という要求が、まさに、軍服務に対する被害あるいは傷に対する訴えだと思います。

 そのような傷、あるいは被害をどのように解決するかという点が、重要だと思います。「自分がこういう傷を受けたから他の人も同じ被害を受けなければいけない」――これまでの韓国の徴兵制の歴史が見せたのはこのような考え方だったと思います。

 しかし私は、そのような傷あるいは被害を生み出した制度や構造に対して疑問を持つ態度こそが、兵役拒否が持っている反軍事化に関わる問いかけ、フェミニストたちが求める平和に関する問いかけ、さらには軍隊に行ってきた男性を中心に置くヒエラルキー化された社会秩序に対する疑義に繋がるのではないかと思っています。

 

○松田: カン先生、ご回答をありがとうございました。では、続いてチェ先生、よろしくお願いします。

 

○チェ: 私も、先ほどいただいたコメントに対する感想を述べさせていただいたうえで、ご質問に対するお答えをしたいと思います。

私も、先ほどカン先生がお話しされたのと同様に、日本で兵役拒否の話をどのように聞いてもらえるのか、なぜ遠い話と感じられてしまうのか、ということについてまずお話をいたします。

 イ・ヨンソクさんの『兵役拒否の問い-韓国における反戦平和運動の経験と思索』(森田和樹訳、以文社、2023)が、先ほど市川先生もご紹介してくださいましたように、最近日本語に訳されて出版されました。ですが、韓国の兵役拒否運動についての本が、実は2000年代半ばに日本で出版される予定だったのに取りやめになったことがあります。

 それは、韓国で軍隊にも刑務所にも行きたくなくて、日本に行って日本人の女性と結婚して、いわば成功裏に「兵役逃れ」をした方が進めていた話だったのですが、それが取りやめになりました。そのとき私は、日本でそのプロジェクトを進めていた方に、「なぜこの問題に興味を持っていらっしゃいますか」と質問をしました。このプロジェクトを進めていた方がお話しされたのは、「東アジアの軍の制度は、おのおのの国家によって自発的に作られた制度ではなくて、すべてがアメリカと各国政府の計画によって作られた制度だ。たとえば、韓国は「60万大軍」の陸軍中心の軍として編成されることになり、日本は今のような形態になった」といったことでした。

 また、「日本の方々は韓国の軍隊を見て何でああいうふうになっているのだろうと思うかも知れないが、その理由は、「60万大軍」を維持するために、BTSのような、ありとあらゆる名誉とお金もある人たちであっても逃れることができないようにする必要があったからなんだ。それは日本に責任があるという意味ではなくて、大きな1枚の絵として見るべきだから興味を持っているんだ」ということも言っておられました。私はその分野の専門家ではないので、このお話が合っているかどうかは分かりませんけれど。

私は、韓国の米軍基地周辺の基地村という性産業の町で働いている女性たちをサポートするトゥレバンという団体でも長く活動していたのですが、反基地運動をされている日本の運動とも、長い間、連帯して活動をしてきました。

 たとえば、反基地運動は、目に見える連帯ができる運動ですよね。でも、兵役拒否運動だって直接的ではなくても間接的にはすべて繋がっていると思うので、民衆たちが連帯して運動を広げていくことができるのではないか、と思っています。

 ここからは、先ほどの大野先生からのご質問に対するお答えをしてみたいと思います。「戦争なき世界」は、大きく分けて2つのテーマに焦点を合わせて活動しています。もともと兵役拒否運動だけで出発したのですが、2010年以降、第2のキャンペーンとして「武器取引監視キャンペーン」を始めました。

 このキャンペーンを2010年からスタートするために、2007年から議論を始めたんですね。「武器取引はいいもので金儲けにもなる」と考えている韓国社会において、果たしてこのキャンペーンを行えるだろうかという議論を、3年間やりました。

 第1次的な理由としては、廬武鉉政権が代替役務制を導入すると言っていたのと、受刑生活を終えた兵役拒否者たちがちょうど戻ってきて、「戦争なき世界」で一緒に活動できる人たちが増えたというのもありました。

 当時の「戦争なき世界」のなかでは、「ジェンダー役割をめぐる葛藤」がかなり続いていた状況でした。ですから当時の「戦争なき世界」の議論のなかでは、ジェンダー葛藤ゆえに武器取引監視キャンペーンをしようと決定したわけではありません。ですがフェミニストたちは、この運動が、組織内のジェンダー役割をめぐる葛藤を減らしてくれるのではないかという期待を持っていたんです。そして、その予想はぴったり適中したのです。

 先ほどの私の発表のなかでも申し上げましたが、「戦争なき世界」のなかでジェンダー葛藤を減らそうとしたそれ以外の試みは、ほとんど失敗していたんですね。たとえば、受刑生活を終えて出所した兵役拒否者とこれから投獄される兵役拒否者をバディを組ませて活動させることによって、女性活動家にケア労働をさせないというシステムを作ったんですが、男性たちがその仕事ができず、結局、女性がケアの役割を果たすことになってしまったんです。

 でも、今振り返ってみると、私たちの評価としては、2番目のキャンペーンをやってみたことが、結果的に、それ以前にずっと失敗していたジェンダー葛藤を減らすのに非常に効果的だったと言えます。そのときには予想できなかったことですが、これが私たちの評価です。

 それから、「兵役拒否キャンペーン」はどうなったのかという問題ですが、兵役拒否キャンペーンでは英雄的な男性を作らないように頑張ってきたんですけど、結局、成功には至らなかったと評価しています。

 代替役務制度が導入されてから、「兵役拒否キャンペーン」を「戦争拒否者キャンペーン」という名前に変えて、たとえば「女性兵役拒否宣言」をしたり、兵役と代替役務を両方とも拒否する人たちのためのキャンペーンをしたりしてきましたが、今後は、韓国で定められている国防義務のなかの一部分に焦点を合わせるような兵役義務に対するキャンペーンだけをするのではなくて、戦争に至る余地があるすべての行為を拒否するキャンペーンとして広げていこうと思います。

 

○カン: 1点だけ補足したいのですが、日本で韓国の徴兵制について話すことにはアイロニーがあると思うのです。朝鮮半島において最初の徴兵制が始まったのは、日本植民地時代の末期であった1944年です。日本の植民地であった韓国と台湾では、その後、極めて厳しい徴兵制が運用されたのに、現在の日本には徴兵制がありません。私はこの部分がアイロニーだと思います。このアイロニーを理解するためには、過去の植民地体制のみならず、冷戦による朝鮮半島の南北分断、中国と台湾の関係など、国際体制に対する理解が必要です。一国の歴史や社会の観点からのみ見るのではなくて、アジア、あるいは東アジアの観点から世界を見たときに理解できる部分があるのではないかと思います。

 それから、韓国の徴兵制というのは、日本によって導入が試みられたものですね。ですから韓国の徴兵制が、その影響から完全に自由だとは言えません。1938年に志願兵制度が始められ、次に1944年に徴兵制が試みられるのですが、かつての日本政府は、植民地朝鮮において徴兵制をいつごろ施行できるかについて研究し、植民地朝鮮の人々が完全に国民化された時点で可能になる、と判断しました。それは、朝鮮の人々が日本語を国語として自然に使えるようになった時点を意味するだけでなく、朝鮮の人々が日本国民に完全に同化された状態を意味するものでもありました。なぜかというと、朝鮮の人々に銃を与えたときに日本政府が求めたのは、銃を日本の外部に向けさせることだったからです。そうではなく内部に、すなわち植民地支配者である日本政府に向けられると、危険だったからです。

 そして、かつての日本政府は、1960年頃に植民地朝鮮で完全な徴兵制の実施が可能になると見ていましたが、戦況が不利になって急いで徴兵制を行いました。しかし朝鮮総督府は、それが西洋のような制度ではないことを、つまり兵役と参政権、言い換えれば、義務と権利を相互交換するような制度ではないことを強調しました。そして、義務を履行する権利が与えられたこと自体が特権だという言い方をしたのでした。

 それ以降、韓国に導入された徴兵制も同じようなかたちで続くことになり、義務と権利の相互交換ではなく、「義務としての兵役」という過去の遺産を持つことになったのです。

 

 

 

○松田: チェ先生、ご回答、ありがとうございました。それからカン先生、補足をありがとうございました。

 では、せっかくの機会ですので、お聞きくださった会場の方からのご質問をいただきたいと思います。時間が不足してしまうかも知れませんが、2、3名でしたら大丈夫かと思います。どうぞ、遠慮なさらずに、お手をおあげください。

 

○会場からの発言1: 今日は貴重なお話をとても面白く聞かせていただきました。ありがとうございました。

 今、皮肉ということを言われたんですけれども、日本の場合、植民地支配、そして帝国主義的な戦争、侵略をやってきた国ですよね。その国が、そういう植民地支配とか侵略戦争の責任を取らずに、戦後は朝鮮半島の分断も朝鮮戦争も利用しつつ、ベトナム戦争も、いわゆる特需というかたちで経済的に復興してきた国です。その責任の立場からすると非常に心痛む思いがしています。

 皮肉なことに、その国が、戦争のある種の責任と、それからグローバルなアメリカの戦略によって経済発展、要するに経済的なアニマルみたいな感じで過ごしてきて、そして、戦後の「憲法」として9条を持ち、戦争を二度としないという非常に普遍的な人類の権利を宣言するような素晴らしい「憲法」を持っているわけです。

 そういう立場からすると、もう本当に二度と戦争を起こしてはいけないと思うわけですね。ですから、今日のお話のなかで、兵役拒否、その活動、いろいろな反戦の活動を積極的にやっておられる韓国の人たちの、その運動に、ぜひ学びたいと思いました。

 「戦争のない世界」という、これはすごくいいテーマだなと思いますし、一国だけではなく、私たち東アジアの平和、そしてもちろん、今ウクライナで、ガザで、いわゆる虐殺、ジェノサイドのような、ああいう戦争が起こっている。それに対する反対の声をあげていく活動を、やっぱりしなければいけないなと強く思っています。

 1つだけ、どう考えたらいいかなと思っていたんですが、要するにフェミニズムが、やはり家父長制に反対するということで、フェミニストたちは家父長制に反対するという目的がありますよね。その家父長制に反対するということは、軍事主義にも反対するということと切り離してはあり得ないというふうに私は思うんですね。

 軍事主義と家父長制度は親和性がありますね。だからフェミニスト、フェミニズムは、やはり反戦、そして反家父長制、反男性中心主義、そういう思想を持っていくというふうには思っているんですけれども。

 2001年の9.11以来、アメリカのフェミニストたちはイラク戦争に、いわゆるテロリストたちへの戦争というかたちで一斉に支持し、ほとんど80、90%の人たちが国民一体となって、アメリカの人たちが戦争を仕掛けていったというふうに思うんですね。今も、やっぱりイスラムとか、敵をテロリストと名付けてイスラエルを支援し、そういう政治が戦争と結び付いて進んでいっていると思います。

 だから、フェミニストもフェミニズムもより進化させて、やっぱり反戦で、反家父長制で、この社会に、そういう戦争や暴力が支配する世界ではない世界を作っていかなくちゃいけないのではないかなというふうに思います。

 家父長制と軍事主義が切り離せないと言いましたが、もう1つ、軍事に頼るナショナリズム、これをやっぱり、きちっと批判して、あらゆる面で、あらゆる私たちの生活のなかで、そういう声を深めていきたい。議論したい。長くなりました、すみません。ありがとうございました。

 

○松田: ご発言ありがとうございました。ご感想と申しますか、コメントということでよろしいでしょうか。では、他にご質問をなさりたい方はいらっしゃいますか?

 

○会場からの発言2: 質問なんですけれども、今のご感想とも関係あるのですが、日本のフェミニズムとか女性団体は反戦運動とすごく密接な関係がありますね。すみません、私は韓国の社会について詳しくないので教えてほしいんですけど、お二人のお考えはよく分かったんですけど、もうちょっと広く韓国のフェミニズムとか女性運動のなかで、兵役拒否運動というのはどれくらい支持されているんだろうかということ。

 もう1つは、フェミニストだけではなくて韓国の広い社会のなかで、その兵役拒否運動というのは、その理解は、この20年ぐらいの間でどれぐらい進んでいるのか、それとも波があるんですか。そこらへんを教えていただければと思います。どちらかお答えいただければ。

 

○カン:  私たち二人でも、立場が違うと思います。

 

○会場からの発言2: でしたら、ぜひ、お二人にお答えいただきたいです。

 

○カン:  私の場合はちょっと否定的なお話になりますが、私が先にお答えしましょうか。やはり現在も活動家として運動を主導しておられるチェさんの立場と、その運動とまったく関係ないとは言えませんが、研究者としての私の立場はちょっと違うと思いますので。

 まず、兵役拒否運動は、韓国の一般社会のなかで支持を得ているとは言えません。先ほどのチェさんの報告のなかでもありましたが、私は、兵役拒否の問題だけでなく、たとえば「差別禁止法」のような少数者の人権の問題に関係する運動は、2007年あたりで停止させられたり、退場直前の状況になった思っています。

 もちろん、このような否定的な話だけではありませんないです。これも先ほどのチェさんの報告のなかにありましたが、1980年代後半から1990年代初めにかけては軍事化に関わるさまざまな問題提起がありましたし、暴力が日常的であった社会文化が改善されて、問題意識が変化したというのは事実です。2001年の9.11の後に、初めて反戦運動というものが行われましたし、2003年のイラク戦争のときには韓国のNGOや市民社会団体が反戦運動をしにイラクに行ったりもしました。

 2007年から2008年の頃には、韓国政府は、兵役拒否者たちに対して代替役務制度を導入するという内部決定をしていました。説明しなければいけないことが多くて話が長くなるのですが、当時、韓国政府が運営していた代替役務制度のなかに「公益勤務要員制度」というものがあったんですね。それを政府が、民間代替勤務としての「社会勤務制度」に、そして軍事活動ではなく社会奉仕活動としての「社会勤務制度」に転換するという計画を発表しました。兵役拒否権を認めるわけではないんですが、少数者に対する寛容という観点から、社会服務制度に含めるという決定をしていたんです。

 しかし、2008年に民主化と連携する勢力ではない保守政権が発足すると、すべてが中断されてしまいました。それから憲法裁判所が違憲決定をする2018年まで、何の進展もありませんでした。2018年になって、やっと代替役務制度が導入されたのですが、現役兵との公平性ということを理由に、今や一番長い服務期間、そして一番悪い条件に兵役拒否者たちが置かれている状況です。

 また、フェミニストあるいは女性運動が、いくつかのグループに分かれているということは、ご存知かと思います。女性運動の最も大きなイシューは性平等ですよね。その平等というものを、男性がもともと位置付けられているところに女性があがっていくこととしてとらえるのか、あるいはヒエラルキーのある状態を水平的な関係に再編することを優先するのか。これらのアプローチのどれを重視するのかで、大きな違いがあるのではないかと思います。

 でも韓国では、男性の位置まで上昇したいと思っているフェミニストたちが多いです。そのような状況のなかでは、兵役拒否運動を支持してくれているのは少数のフェミニストたちだけのように思えてしまうのですが、韓国社会も急変してきているので、何らかの大きな転換があるだろうと思っています。

 私の報告のなかで、未畢者の問題を取りあげました。軍隊に行かなくてもいい人たちが忌避者として概念化され、拒否者たちも、非道徳的な忌避者とみなされています。最近の軍服務と関係しているジェンダー役割をめぐる葛藤のなかで、私は軍隊に行かなくてもいい人たちのことを「兵役の例外者」と名付けているのですが、免除者ではないけれども「例外者」である女性たちを、忌避者として扱う言説が作られているのです。

 それゆえ一部の若い女性たちは、「私たちが軍隊に行くよ」という話もします。私は、このような構造自体を、あるいは歴史自体を問うフェミニズム運動が必要だと思っています。でもこの点については、多くの女性たちがすでに運動を実施している、と答えておきたいと思います。

 

○チェ:  カンさんが私とは違う立場を持っているだろうと仰ったのは、おそらく私が運動内部の意思決定過程をよく知っているからだと思います。

 兵役拒否運動は、過去の韓国にはなかった急進的な運動ですから、市民団体ですらも、これがどういう運動なのかを理解するのに時間がかかりました。女性団体も例外ではありませんでした。私は、基本的に女性団体は、兵役を拒否するような新しいタイプの男性の出現を、歓迎したと思います。なぜかというと、韓国社会のあらゆるジェンダー葛藤は、徴兵問題を抜きには話せないからです。

 いわば先輩世代の女性運動は、物理的な男女格差を減らすことに集中してきたと思います。当時、いわゆるヤングフェミニストと呼ばれていた女性たちは、反戦運動と兵役拒否運動を支持していたと思います。ですが、全体として女性団体が兵役拒否運動に積極的に参加していたかといえば、そのように評価するのは難しいと思います。

 私が理解しているところでは、すでにその時点で、それらの女性団体がやらなければならないことが多すぎたんだと思います。女性の人権は、韓国社会においては今もめちゃくちゃですが、20年前にはもっとめちゃくちゃだったんですから。

 また、市民団体は多様な人々の多様な欲望が混ざっているところなので、規模が大きい女性団体の場合は特に、自らがすでにやっていたキャンペーン以外に新しいことを取り入れるのに、時間が長くかかります。カンさんが私とは立場が違うかも知れないと仰ったのは、私が、既存の女性団体が兵役拒否運動を一生懸命やらなかったことを理解できる、と言ったからかも知れませんね。

 でも、つい最近までは軍加算制度の問題もありましたし、最近では女性徴兵制の問題も出てきています。そして、これらの問題が、選挙の度に毎回出てきます。戦争と兵役制度と女性の問題は、これからも一緒に絡まり合って続いていくはずです。それらの接点を意識しながら、さらに運動を続けていくべきなのではないか、と思います。

 

○松田: ご質問とご回答、ありがとうございました。もっとお話をお聞きしたいと思うのですが、そろそろ、シンポジウムを閉じなければいけない時間になって参りました。

 では、最後に、本日、ずっと通訳をしてくださったシン先生に、閉会のご挨拶をお願いしたいと思います。実は、シン先生も、兵役拒否をご研究なさっている方なんです。では、シン先生、一言、お願いします。

 

 

 

 

(閉会の挨拶をするシン・ヒョンオ氏。登壇者の左から3人目は通訳の一部を担当した影本剛氏)

 

○シン・ヒョンオ(立命館大学): ずっと通訳として口を動かしていたので、何を話したらいいのか頭が真っ白なんですが、非常に簡単に終わりの言葉として申し上げたいと思います。

 もう21年前になるんですが、私は韓国から、留学生として日本に来ました。私も男性ですから、それまでは「男性であれば当然、軍隊に行くべし」というような教育を受けて、そのように思っていました。ですが日本に来てから、1つの権利、人権としての兵役拒否権に関する研究を、法律的な観点からすることになりました。今日のご報告のなかでも触れられていましたが、2018年度の憲法裁判所の判決が、大きなきっかけでした。

 この科研の研究を市川先生と進めながら、兵役拒否運動をどれだけ幅広い観点からとらえるべきか、考えてきました。法律、あるいは人権の側面だけでなく、もっと幅広い観点から――たとえば、今日の話題にもあがっていたジェンダーやフェミニストの観点から、さらには反戦運動も含めた観点から、です。これまでの研究を通じて、兵役拒否のとらえ方を幅広くすることができましたし、兵役拒否に対する考えを深めることもできました。とても有意義な時間だったと、これまでの3年間を振り返っています。

 この科研プロジェクトは、今日のシンポジウムをもちましていったん終了ですが、完全に終わりにするのではなく、これからもさらに発展していけるよう、頑張って研究を進めていきたいと思っています。今回のようなシンポジウムも、これからも機会があれば企画していきたいと思います。

 今日のシンポジウムは、徴兵制がない日本の立場から、徴兵制がある国家の制度を幅広い視野に立って研究するきっかけを提供した点で、非常に意義のあるシンポジウムだったと思います。以上で私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

○松田: シン先生、ありがとうございました。それでは、これで、本日のシンポジウムを閉じさせていただきたいと思います。本日ご報告くださったカン先生とチェ先生、シンポジウムの趣旨説明と兵役拒否に関するご説明をいただいた市川先生、さらにディスカッサントの大野先生、通訳と終わりのご挨拶をしてくださったシン先生、以上すべての皆さまに、大きな拍手をお送りください。会場の皆さんも、ご参加ありがとうございました。

 

(終了)