記録  『「1968」を編みなおす——社会運動史研究2』刊行記念イベント第1回

『社会運動史研究』第2巻の刊行を記念し、2020年8月から9月にかけて、オンラインイベントを2回にわたって開催しました。第1回は、「「1968」を編みなおす」と題し、特集を中心とした第2巻の合評会として、2020年8月22日に実施しました。仲山教人さん、箱田徹さんのお二人をコメンテーターにお招きし、Zoomを介し、編者と参加者もまじえて2時間にわたって充実した議論が展開されました。『社会運動史研究』では、第1巻に特集「運動史とは何か」、第2巻に小特集「運動史とは何かⅡ」をそれぞれ掲載し、運動史の意味と方法論にかんする議論を続けてきました。今回のイベントもまた、『社会運動史研究2』の批評をとおして運動史研究そのものについて話し合う機会になりました。ここに記録を公開し、今後の議論につなげたいと思います(編者一同)。

 

2020年8月22日午後1〜3時・オンライン(Zoom)で開催

司会:松井隆志

コメンテーター:仲山教人、箱田徹

主催:大野光明・小杉亮子・松井隆志

 

■「68年」の重層性、雑多性

 

松井 本日はお集まりいただき、ありがとうございます。『社会運動史研究』の第2巻が出たことを記念して、ともかく合評会をやろうということで、今日のイベントを企画しました。私たちは、「1968」について今あるレッテルやイメージは間違いだと考えて、代わりにひとつのイメージを提示するというふうには、本をつくりませんでした。そもそも「1968」は一つのイメージに固められるようなものなんだろうか。個人的にはこのような疑問を持ってもいます。今回の本では、むしろ、これまで十分語られてこなかった側面や、あるいは一昔前は言われていたけれども最近は忘れられている側面を具体的に紡いで、「1968」をめぐる議論に足していこうという意味で、「編みなおす」というタイトルをつけました。

 

もちろん、必要な論点を網羅できたわけではありません。そこで今日は、「1968」というテーマについてすでに見解や関心をお持ちであるおふたりをコメンテーターとしてお呼びしました。

 

最初にコメントをいただく仲田教人さんは、横浜の新貨物線反対運動や水俣病闘争など、60年代に関わる運動史的研究をされていると同時に、2000年代に反グローバリズム運動に関わられていました。今と過去をつなぎながら運動を考えようとされているかただと思います。次にコメントをいただく箱田徹さんは、クリスティン・ロス『68年5月とその後——反乱の記憶・表象・現在』(航思社、2014年)の訳者です。この本は、「フランス五月」の歴史をどう書き直していくか、という問題にかんする本といえます。それだけでなく、箱田さんは日本の運動についても関心を持ってきたし考えてもこられたということで、今日来ていただきました。

 

それでは、仲田さんからお願いします。

 

仲田 紹介にあずかりました、仲田と申します。よろしくお願いします。オンラインイベントで話をするのは初めてで、独特の緊張がありますね。まず自己紹介として、私の研究と運動経験についてすこしだけお話しして、「68年」への問題関心を明らかにしたいと思います。

 

研究のほうからお話ししますと、私は大学院の博士課程のころから、日本の1960〜70年代の住民運動について研究してきました。当時のラジカルな住民運動がその思想と実践において提起していたもの、その革命性と今日性に興味があります。2年前に書いた「住民運動のなかの『苦海浄土』と水俣病闘争」(『文藝別冊 石牟礼道子』河出書房新社に収録、2018年)という文章を今回のイベントの告知文で紹介していただきましたが、日本の「68年」というものを語るときに、成田闘争であったり水俣病闘争であったり、各地の反公害闘争をはじめとする住民運動は欠かせないものだと思います。

 

運動経験では、私は2000年代の中頃から末頃にかけて、「反グローバリゼーション運動」と呼ばれていた運動に、わりと熱心に関わっていました。雑誌『福音と世界』2020年8月号に掲載された「内戦とコミューン」という文章に、当時の運動経験とそれ以来持ち続けてきた私の問題関心について書いています。「反グローバリゼーション運動」については、「68年」の運動の再来や継続として語る論者たちもいて、いくつかその議論を追っていましたし、いまでも追っています。

 

日本で「68年」という枠組みで運動が語られるようになったのは、90年代後半になってからではないでしょうか。それまでは「全共闘」や「新左翼」という枠組みが支配的だったはずです。「68年」という枠組みの強さは、「世界革命」とまでは言わなくとも、グローバルな変革運動、抗議行動の共鳴について語らざるを得なくなるところにあると思います。「68年」という枠組みを持ち出すことによって立ち上がる現実の平面、グローバルな地平があって、それを肯定ないし否定せざるを得なくなる。大まかではありますが、以上が「68年」をめぐって、私が持ってきた問題関心です。

 

忘れないうちに一言だけ、この『社会運動史研究』について思っていることを言っておきたいんですけれど、すごくいい雑誌だと思います。研究者だけでなくて、活動家だったりアーキビストであったり、さまざまな取り組みをしている人たちの文章やインタビューが入っているというのが本当にいい。この2巻では、内容が増えて、分厚くもなりました。編者の皆さんが意図されているように、いろんな運動に出会える場になっていると思います。他の人たちがこの雑誌をどういうふうに読んでいるのかも、一読者として気になりますし、今日はそういうことも議論できるのではと楽しみにしています。

 

さて、今日は大きく分けてふたつのことをお話しして、後の議論につなげたいと考えています。ひとつは今回の特集へのコメントで、もうひとつは編者のみなさんへの質問です。まずは今回の特集「『1968』を編みなおす」の試みがうまくいっているかどうか、特集全体の目的が果たされているかどうかについてコメントするところから始めたいと思います。

 

本特集の目的については、冒頭で次のように書かれています。「本特集はひとつの「1968」像を提示するものではない。むしろ、歴史の具体性と向き合い続けながら、これまで希薄だった視角からの多様な「1968」論を読者に提示することで、既存の議論を相対化・豊穣化したいというのが編者の意図だ。すなわち本特集は、「1968」像をより豊かなものへと編みなおす試みである」(7頁)。先ほど松井さんもおっしゃっていたように、「68年」とはこういうものだという、ひとつのモデルを提示するのではなくて、さまざまな運動の歴史的ディテールに立ち戻り、個々の検証を積み重ねて並べることで、「68年」像を豊かにするということですが、成功されていると思います。

 

この特集のなかのどの文章にも、私が知らない「68年」がたくさん書かれていました。「68年」の重層性や雑多性がよく現れていて、そうした重層性や雑多性のなかから「68年」の個々の運動が出てきたことがよく示されていると思います。山本崇記さんによる京都市の東九条地域の運動にかんする記述(「運動的想像力のために——1968言説批判と〈総括〉のゆくえ」)もそうですし、嶋田美子さんの美術と政治にかんする記述(「矛盾の粋、逆説の華——名づけようのない一九六〇年代史をめざして」)もそうです。阿部小涼さんによる沖縄とベ平連とジェンダーにかんする記述(「拒否する女のテクストを過剰に読むこと——古屋能子の八月沖縄闘争」)には、入り組んだ力の線が、はっきりとページから目の前に伸びてくるような迫力がありました。

 

たとえば小熊英二さんたちがされているような、1968年という1年だけを切り取って「68年」を論じることの不毛さが、この特集全体を通して明らかになっているのではないでしょうか。同時に、「68年」という問いを立て、かつ、その問いを集めて示すことで見えるようになる地殻の変動があるということが、よく分かる特集になっていると思います。

 

なぜ「社会運動」なのか

 

仲田 次に、編者の皆さんへの問題提起をしたいと思います。本特集の冒頭には、次のようにあります。「一九六八年は世界同時多発的に社会運動の高揚が見られた年であり、日本でも、大学闘争やベトナム反戦運動をはじめとして、社会運動史にとって重要だと思われる出来事がさまざまに起こった。当時のグローバルな現象は、「1968」と象徴的に呼ばれる」(6頁、下線部強調は仲田)。なぜ編者の皆さんは、「68年」の運動を「社会運動」と呼ぶのでしょうか?  皆さんがこの概念を使う理由や、そこに込められている思い入れについて、お聞きしたいです。本書に掲載されている天野恵一さんの文章(「関係を編み上げる〈編集〉と〈運動〉」)のなかに、「『社会運動史』というカテゴリー自体が持っている今日的な歴史的制約性を、一度批判的に対象化し直した上で使うべきじゃないかと強く思っている」(178頁)という箇所がありますが、わたしの質問は、この問題提起とも重なります。

 

言わずもがなではありますが、「68年」に生じた抗議行動、あるいは集合行為を分析する枠組みが、「社会運動」である必然性はありません。そもそも当時の運動の当事者や研究者たちが、みずからの営為や分析の対象を「社会運動」と呼ぶことはほとんどありませんでした。「成田闘争」や「水俣病闘争」のように「○○闘争」と言ったり、「反公害運動」と言ったり、そのほかにも「大衆運動」「住民運動」「市民運動」「農民運動」「反戦運動」「労働運動」「学生運動」「自治体運動」など、さまざまな呼び方がありましたが、「社会運動」と呼ぶことはほとんどなかったはずです。

 

「社会運動」という概念にもさまざまな定義があり、意味の変遷があります。つねに一つに定まっているわけでもありません。戦前においては、内務省警保局の『社会運動の状況』という冊子がしばしば引き合いに出されたりしますけど、「社会運動」は「社会主義運動」を指す言葉でした。戦後も長い間、80年代前半くらいまでは、「社会主義運動」という意味合いが強かったのではないかと思います。たとえば、1980年に生活クラブのシンクタンクが『社会運動』という月刊誌を創刊しますが、はじまりにあたって岩根邦雄さんたちは、この「古い言葉」をあえてタイトルに用いることで、この言葉が立ち上げる政治的領域を引き受けつつ、刷新させるのだと語っています。

 

天野さんが指摘されているような、「政治闘争というカテゴリー」がそこからは除外されるものとしての「社会運動」は、80年代半ばくらいから流布していったように思われます。これについてはやはり、社会学者の影響が大きいのではないでしょうか。

 

わたし自身は、社会をつくるのが「社会運動」だと理解しています。この場合の「社会」とは、フランス革命以来、この言葉とともに構築されてきた、国民国家に対応する平面を指します。これにたいして、「68年」の運動には、反社会的な運動や、社会とは別の関係性、別の平面をつくりだそうとする運動がたくさんあったと私は考えています。正確にいえば、「社会的な運動」と「反社会的な運動」という区分があるというよりも、運動の中にそうした趨勢があるということになるのだと思いますが。

 

水俣病闘争でいえば、補償を勝ち取ろうとした点では「社会運動」と呼ぶことができますが、そこには同時に、「この世の支配体制を根本的に否定する闘い」という線が走っていました。成田闘争でいえば、空港建設を阻止しようとした点では「社会運動」であったかもしれませんが、そこには同時に、近代以降つくられてきた人と自然との関係、人とモノとの関係を根底から変えてしまうような線が走っています。

 

「68年」の有名なスローガンに「想像力に権力を」というものがあります。今ある「社会的現実」とはまったく別の現実を立ち上げようとする趨勢にこそ、「68年」の革命性があると、わたしは考えています。今回の特集の嶋田さんの表現を借りれば、「名づけようのない人間になるための数々の試み」ですね。そうした数々の試みを、「社会運動」という枠組みは妨げてしまうのではないかという危惧があります。

 

ちなみに今回の特集のなかで、嶋田さん、阿部さん、山本義隆さん(「闘争を記憶し記録するということ——『かつて10・8羽田闘争があった』および『東大闘争資料集DVD増補改訂版』出版に際して」)は、「68年」の運動について「社会運動」という言葉を使っておられませんでした。古賀暹さんのインタビュー(インタビュー 古賀暹さん「『情況』前夜——「1968」を準備した六〇年代前半期」聞き手 松井隆志)もすごく興味深い内容ですが、「68年」に入る手前で、今回は終わってしまっていますね。

 

絓秀実「1968年」論をめぐって

 

松井 ありがとうございます。では、引き続いて箱田さんにお願いいたします。

 

箱田 こんにちは。私の専門は社会思想史です。いわゆる現代思想を主に扱っていますが、最近は気候変動や採取主義についても書いたり調べたりしています。

 

「68年」との関わりという点では、フーコーやランシエールといった研究対象が「ポスト68年5月」の社会哲学であるということで、1960年代以降の社会情勢と哲学との関係にも注意を払ってきました。

 

私は1976年生まれで、東京の郊外で今思えば戦後民主主義的な初等中等教育を受け、学生時代も左翼的な雰囲気のなかで自己形成しました。現代思想というと難解なことをやっているように思われますが、1960年代以降の脱工業化やポストフォーディズムと言われる時代を経て、新自由主義が全面化する今日の社会情勢下で、独立系左翼にはいかなる社会哲学が可能かということを考えているわけです。そこにはある程度の「実感」があります。

そういう目からすると、2000年代以降、いわゆる「批判的な」思想や哲学を論じるさいの共通の土台がかなり揺らいでいるように感じています。「フランス現代思想」というものを考えるときの土台って、私たちと30代以下では明確にずれています。例えば、「左翼」という代わりに「リベラル」とか「左派」という表現を使うことには私は強烈な拒否感があります。そもそもイコールだとも思ってませんが、ある年代以降の人たちにはそうした感覚がないというか、むしろ積極的に言い換えているように見えるといったことです。

 

現代でも「現代思想は気候変動について真面目に考えてこなかった」などという言い方がまかり通るように、概念や言葉から歴史性がどんどん失われていって、実は知らなくてはいけないこと、踏まえておくべきこと、テクストを読むために必要な知識が失われていっているのではないかとも感じています。クリスティン・ロス『68年5月とその後』の日本語訳をした背景には、そうした問題意識もありました。

 

では内容に入ります。まず「1968」論における「政治」の位置についてです。古くから知っている松井君にコメンテーターを頼まれたとき「君の持っている『68年』観は非常にニューレフト的だから、それを言うと議論になるのでは」というようなことを言われました。私は関西で勉強したせいもあるのでそうかもしれません。たとえば今号に掲載された論文でいうと、京都駅の南にある東九条を調査しておられる山本崇記さんが、絓秀実さんの「1968年」論を批判しています。しかし私は絓さんの議論にさほど違和感はありません。絓さんの話は、戦後民主主義つまり旧左翼を新左翼が乗り越えたのが60年安保で、その過程で2次ブントや諸党派、そして全共闘が登場する。そして入管闘争や華青闘告発が契機となり、最終的にノンセクトによって「党的なもの」が乗り越えられたというストーリーです。

 

絓さんは、ウォーラーステインを引いて「68年」は「20世紀唯一の世界革命」(絓秀実、2006年、『1968年』ちくま新書、14頁)だと言っています。世界革命に党の問題がないわけがない。フーコーもコレージュ・ド・フランス講義『安全・領土・人口』で「党の統治性」という言い方をしているのですが、19世紀以降の政治空間では、特に左翼運動のなかで政党は大きな位置を占めていた。今ではそこまでではないにせよ、政党ないし革命党派の問題は1960年代を語る上ではずせないことだと思います。そういう意味で、絓さんが言っていることは私にはしっくりきます。

 

もうひとつ、絓さんの良いところは東大闘争至上主義を明確に否定しているところです。「68年」を時期区分として捉えるとどうなるのかという問題関心ですね。フランスでの議論の動向とも通底する部分がありますけれども、ある期間ないし問題設定として「68年」を捉える視点は大切にすべきだと思います。

 

そして、絓さんがずっと言っているのは、ポストコロニアルあるいはポストモダン状況の革命する主体の不・形成ということです。吉本隆明批判はナショナリズムとネオリベラリズムに親和性があるという話として読めるし、ベ平連評価は、当時の冷戦情勢に日本のいわゆる新左翼運動を置き直したらどうなのかという話です(日本赤軍やよど号グループについても、当事者が生きているうちはきわめて難しいとはいえ、そうした観点からのフェアな議論があってもよいはずです)。党の問題と関連しているわけで、まっとうな問いだと思います。

 

さらに言うと、絓さんは「新しい社会運動」が掲げてきたことが、資本の受動的革命によってある程度実現されてしまった点も議論しています。びっくりしたのでよく覚えているのですが、2000年ごろ、アントニオ・ネグリの話になったときに、後輩から「ネグリは授業でやらなかったので」って言われたことがありました。大学でやらないとかやるとか、僕はそういうことは考えたことなかったので(皮肉にも今は大学で話すこともあるわけですが)。たとえばこんなかたちで、大学のカリキュラムもしくは大学のガバナンスに、新しい社会運動の「成果」がある程度取り込まれてだいぶ経ちます。そうした状況下でどのような変革の主体がありうるのか? 絓さんはわからないって言うものの、観点というか問題意識としては非常に明確に出ている。私はそういうところを含めておおむね賛成なんです。

 

さきほど仲田さんが「社会運動」という言い方にはさまざまな見解があるということを指摘されました。天野恵一さんが言うような意味で、「社会運動」は「政治運動」を無化する、もしくは「政治運動」とは別に「社会運動」があるという観点ではなく、「社会運動」は社会に対して働き掛けるんだから、それは当然「政治運動」でしょうという、絓さんの観点については、僕は肯定的です。「社会運動」の規定は「政治」の問題化と不可分であるわけで、すでに論争的な出来事として「社会運動」があるということです。

 

もうひとつの絓史観からの宿題は、理論と実践の問題です。これは、マルクス主義から社会哲学が引き継いだ問題として、現在も存在しています。「理論が実践を導きえないのなら、潜在的な力への信による決断しかないのか」と、今日の資料には書きました。以上が私の基本的な捉え方です。

 

痕跡、時間、全体性、暴力

 

箱田 時代区分としての「68年」にかんしていうと、例えばフランスでは、「パリ五月革命」とは言わず「68年5月」と呼ばれています。アルジェリア独立戦争(1954~62年)からミッテラン政権の誕生(1981年)まで。日本で言えば、六全共から労線統一にあたるでしょうか。

 

フランスにおける近年の議論の動向として、別の面にも触れておくと、10年ごとにいろいろな本が出版されます。近年は有名人以外の語りがたくさん出版されているほか、アーカイブが整理されたことなどもあると思いますが、地域闘争や労働運動、農民運動、フェミニズム、性的マイノリティーの運動などについても議論が増えています。

 

フランスでは大きな社会運動があるたびに常に、右翼と保守の側から「68年5月」が亡霊のように言及されるということもある。それだけ現代の闘争との連関が強く意識されているということですね。

 

さて『社会運動史研究2』全体を読んだ感想として、キーワードが4つあると思いました。痕跡、時間、全体性、暴力です。個々の論文が一個のキーワードにしか対応していないのではなくて、このベン図(左参照)のように組み合わさっていると感じています。

 

まず「全体性」について、地域闘争や住民闘争では、ある生活空間全体もしくは自分の人生そのものが、ある種の闘争となってしまう局面があるわけです。そういう意味で全体性と仮に呼んでいます。

 

そして、大きな問題としてあるのは、やはり「暴力」だと思います。古賀暹さんのインタビューはとても面白くて、60年代後半を扱った第2部が楽しみです。嶋田美子さんが書く現代アートの歴史についても、例えば東アジア反日武装戦線の斎藤和さんの話が出てきますが、アートと暴力の関係はどうなのか、と。また、山本義隆さんにしても、同じことが言えるわけですよね。

 

3つめの「時間」について、富田武さんの論文(「戦後シベリア抑留者運動史概観——一九七〇年代からの展開を中心に」)に典型的ですが、当事者にとっては残された時間が限られているという面と、高齢者になって時間があるから発言できるようになる、運動ができるという面とがあるなと思いました。あるいは、当事者に残された時間がないから、早くやらなきゃいけなかったりもする。時間によって運動が組織されるという側面です。

 

そして4つめは「痕跡」です。これをどういうふうに読み解くか。阿部小涼さんの論文はいくつも興味深いところがあります。まず「書く」行為の範囲と「書かれた」史料の範囲との距離というか対比が非常によく出ている。何回も推敲してやめたものまで含めて、検証している。史料研究の醍醐味ですよね。本書の中でインタビューされている、立教大学共生社会研究センターのアーキビスト・平野泉さんの活動の意味が、「あ、なるほど、こういうところにあるのか」と非常によくわかりました(社会運動アーカイブズインタビュー 平野泉さん 「市民社会の財産を守り、活かしていくために 聞き手 大野光明・松井隆志」)。史料そのものが持つ力、史料をどこまで集めて読むのかという、史料の読解が持つ力を感じました。史料が読み手にとって開かれたものであることがよくわかります。

 

阿部さんの論文は、黙らない、ふと顔をのぞかせる「密かな」歴史を教えてくれる点でも面白い。たとえば、古屋さんが、私はよく考えたら共労党の結成準備の会議にずっと出ていた、吉川勇一さんや武藤一羊さんより私のほうが古いんじゃないかと、書き残すところです。あとは、古屋さんが外から付加された女性性をパフォーマティブに引き受けているという話もそうです。ここでは、運動の主体とはどういうものなのかという問いが明確に出てきていて、非常に魅力的だったと思います。

 

そして、最後に、最初に話した絓さんの議論と重なるところですけれど、党じゃなくても、あらゆる組織に党派性があるわけで、党派性や権力との幾重ものたたかいがあって、そのなかで政治的な主体化がなされているということが非常によく伝わってきました。権力も、別に国家権力だけに限りません。フーコー的な言い方をすると、黙らない主体であるし、放っておいてもどこかから現れ続ける主体であるし、いい意味で頑固で言うことを聞かない主体。こういう主体の現れが、史料を通じてふわっと浮かび上がってくるようでした。

 

最後に、『社会運動史研究』という雑誌の編者3人にたいして、ある種の注文ですが、例えば第一期『情況』の総目次が収録されていますけれども、翻訳記事がすごく多いですよね(資料「『情況』(第一期)総目次 上(創刊号一九六八年8月〜53号一九七二年一二月)」)。60年代から70年代にかけて運動情報の翻訳がたくさんされたことを思うと、現状は、海外のことが実はあまり伝わってこない。Twitterなどで伝わってくることはあるんですが、まとまったものや分析として出てくるものが結構少ない。これはどうにかしておくべきことなのではないと、今痛切に感じています。

 

それと関連することですが、この雑誌自体のたぐいまれな使命があります。大学関係者以外への情報提供ですね。単に研究者が書いて交流して業績を積むためのものではないと明確に位置づけられ、ある種の運動体として考えられている(巻末「なぜ私たちは『社会運動史研究』を始めるのか」)。そのときに、アカデミアの外と連動すること、そして海外ともつながっていくことは、必要なんじゃないかと思います。雑誌としてのプラットフォームは、そのようにして形成されるのではないでしょうか。

 

公民権運動研究と「社会運動」

 

松井 ありがとうございます。おふたりからなかなか重いテーマを提起していただきましたので、まずは編者から、応答というほどのことができるかわからないのですが、ひとりずつコメントをしていきたいと思います。まずは小杉さんから。

 

小杉 みなさん、こんにちは。小杉亮子と申します。『社会運動史研究2』で特集を組むさいにわたしが考えていたのは、「1968」に関する議論がより多面的になるように、もっとたくさんの視点から「1968」が語られるように、そういう意味で議論を豊かにしていきたいということでした。今日のおふたりのコメント自体が、現在の「1968」に関する議論を豊かにするようなものだったので、本当にありがたいなと思いました。

わたしからは、とくに「社会運動」という言葉についてお返事をしたいと思います。「社会運動」という言葉と社会学者の関係について、仲田さんが触れられていました。『社会運動史研究』の3人の編者はみんな社会学の分野でトレーニングを受けたわけですが、社会学のなかで「社会運動」という言葉が持っていた可能性というのがあったと、わたしは考えています。大きな流れでいえば、1950年代から60年代にかけてアメリカで公民権運動が盛り上がったとき、それまでそういう抵抗する人びとの動きは、非合理的に行動する主体が生み出す動乱や騒動、集合的沸騰と捉えられていたのにたいし、そうではなくて、なにかしらの目的があって、一義的には言えないけれど、なにかの意味があるおこないなのだと、「社会運動」というカテゴリーで捉えられ始めました。このことが日本の議論の状況にも影響を与えたと思います。そういう意味で、「社会運動」と捉えること自体にも、異議申し立てや叛乱、いろいろ言い方はあるんですけれど、そのような対抗的な動きにポジティブな意味を見ようとした研究者の視点が込められていたのだと思います。ですので、「社会運動」という言葉への仲田さんの違和感もわかりはするんですけれど、あえてそれを使うことで、この営みにポジティブな、あるいは新たな視点を注ごうとしていることは確かだと思います。

 

ただ一方で、仲田さんが指摘されていた、山本義隆さんが「社会運動」という言葉を本書のなかでは使ってなかったとうことが気にかかります。私は60年代の学生運動の研究をしているのですが、山本義隆さんが話す講演や語りを聞くと、山本さんは「学園闘争」というふうにおっしゃいます。私自身は「学園」というもののイメージが、実はまだつかめないので、自分では「学園闘争」は使えない。「大学闘争」ならまだわかるので使えるんですが、当時の「学園」を舞台にした闘争とは厳密にはどういう事態なのかというニュアンスが分からなかったりする。

 

もうひとつ、山本義隆さんのお話を聞いていて意味をつかみ取れない言葉があって、それは「大衆」です。山本さんの口から「大衆」とサラッと出てきて、それは、今の大衆とはまったく違うニュアンスを持っていて、当時言われた「大衆闘争」における「大衆」だということは分かる。でも、自分がああいうふうに「大衆」という言葉を使えるかというと、やっぱり使えません。

 

さきほど、言葉のつくり替えにたいする懸念について箱田さんが話されていました。山本さんが「社会運動」を使わずに「学園闘争」と言ったり、「大衆」という言葉を使ったりする。そのときのニュアンスや、まさに身体化されたような意味の込め方には、私はまだ理解が及ばないところがあります。そのときに学園闘争や大衆という言葉を使わないで当時の学生運動について書くことによって、わたしも言葉の作り替えをしてしまっているということなのか。それとも、「学園闘争」「大衆」と言葉を使わずに、今を生きる人にも伝わるかたちで当時の運動について解釈し、運動史を書いているということなのか。それは評価が分かれるところだし、評価が難しいところだろうと思いました。

 

「混沌」からの「発酵」を待つ態度

 

松井 次に大野さん、お願いします。

 

大野 きょうは本来であれば皆さんと膝付き合わせていろんな議論ができたらうれしかったんですが、こういう形式だからこそつながれる、遠い所からの参加者もおられるので、ここで話せることはやはり光栄です。

 

まず、仲田さんと箱田さんから素晴らしい批評をしていただけて、この本を出せてよかったなと思います。年末の忙しい時に編者3人も新曜社の編集者さんもかなり無理しながら編集作業をしたこともありました。編集作業の終盤は新型コロナウイルスの流行が広がる時期と重なりました。本当に努力が報われたような気持ちです。

 

僕からは、「社会運動」という言葉をどういうふうに考えるかについて、まず応えたいと思います。私は『社会運動史研究』1号でも自覚的に述べているのですが、「社会運動」という言葉を現在の社会運動を批判的に捉え返すためにこそ使っているという問題意識があります(「運動のダイナミズムをとらえる歴史実践——社会運動史研究の位置と方法」『運動史とは何か——社会運動史研究1』新曜社、2019年)。

 

現在の社会運動論は、ともすると獲得目標や戦略や戦術といったところに着目して、その合理的なロジックのなかに人々の情動や身体性、行為を閉じ込めてしまうような、そういう窮屈な論に思えてしまう。もっとはっきり言えば、社会学の社会運動論を見ると、NGOやNPO、国家や行政、資本の下請け化しているような活動でさえ社会運動として議論されています。つまり、既存の経済・社会・政治システムのなかで制度化された実践が「社会運動」と捉えられてしまっている。そのなかで、3・11以降の反原発運動や安全保障法制反対運動といった運動を見ても、この制度化に絡み取られており、それをどう乗り越えていくのかが、非常に重要な問題になっているのではないかと考えています。

 

翻って社会運動史研究を見てみると、現在のこのような「社会運動」認識から過去を評価することが非常に強く、そうすると過去の闘争が持っていた力を、歴史を書くことを通じて鎮圧してしまうという問題が起きてしまいます。そういった傾向にたいしては私は批判的です。また、今「社会運動」という名前のもとでなにかをしようとしている人たちに対して、「運動というのはその程度のものではなく、歴史を遡れば、こんなことをやっていた人たちもいる、こんな想像力を持っていた人たちもいる」というふうに、豊かな歴史をぶつけてみたい。現在の運動状況の後退局面をラジカルな歴史に接続しなおすことによって豊かにしていきたいという問題意識があって、この「社会運動」という言葉を、そこまで思い入れはないんですけれども、あえて使っているところがあります。

 

2点目として、今回の「『1968』を編みなおす」という特集にたいして、おふたりから本当に素晴らしいコメントがありました。昨日、一昨日と、再読していたのですが、各論文が別々のテーマや地域を扱っているにもかかわらず、共通する単語や概念が出てきます。例えば10・8(ジッパチ)の羽田闘争は阿部小涼さんの論文や山本義隆さんの論文の中で出てくる。そういう論文間の連関が非常に面白かった。また、「混沌」はキーワードとしてあると考えました。「1968」という対象は非常に混沌としていて、なにかひとつの歴史観にまとめられるようなものではないということです。

 

ここでご紹介したいのが、1980年に津村喬が出した『全共闘――持続と転形』(五月社)のなかの言葉です。「秩序に対して別の秩序をおきかえようというのではない。別の秩序が生み出されねばならず、どんな出来合いの「別」をもってきても現秩序の補完物になってしまう。とすれば、秩序を深く相対化する混沌の状況をできるだけ引きのばして、もっとも時代の深い底からまったく異質な秩序が発酵してくるのを待たねばならない。それに耐えられない者はみな党派に走り、出来合いの普遍性を手に入れた。全共闘はしばらく耐えた。全共闘は混沌派なのだ」(54頁)。このように彼は全共闘運動史を総括して、その精神や営みは形を変えながら持続していると提起していました。

 

つまり、「混沌」とは、既存の秩序には合致し得ない、別の秩序を用意するような発酵を確保するものなのだということです。私はこの評価に同意しますし、先ほど述べたような既存の社会運動論からはこの「混沌」と「発酵」という部分がどうしてもそぎ落とされてしまって、非常にお行儀の良い運動史になってしまうのではないか。

 

この意味で本書は「混沌」という視点から、一つのリニアな歴史叙述に収まらないような「1968」論、ひいては運動史を考える特集だったと思います。そう考えると、箱田さんもおっしゃっていた時期区分の問題、「68年」をどういうスパンで捉えるのかということも、「混沌」と「発酵」という視座からすれば、長いスパンで考える必要があることになる。たとえば、沖縄であれば、60年代後半の沖縄闘争の中から住民運動へ、あるいはさまざまな女性運動へつながるような展開もあります。「混沌」と「発酵」という点から時期区分論を組み替えることもできるのではないかと思いました。

 

既存の文脈をひきずらずに運動の歴史を再構成する

 

 松井 それでは私からも一言リプライしたいと思います。小杉さん、大野さんと同じように私も社会学をやっていることもあって、「社会運動」という用語からお話しします。これは『社会運動史研究1』の合評会でも提起された問題で、その時にも同じ内容を答えたんですが、私自身は、基本的には「運動」でいいと思っているんです。日常的にも「運動」ぐらいしか言わない。でも、例えばAmazonで「運動」を検索するとスポーツの本がいっぱい出てきたりする(笑)。それならば、正確に意味を伝えるために、闘争や叛乱などを包括する中立的な用語として「社会運動」を使えばいいんじゃないかと、ある意味一番素朴な意味で「社会運動」を使っていました。

 

ただ、「社会運動」という言葉についてくりかえし問題提起がされるところを見ると、実はもう少し踏み込んだことをやっているのかもしれないと、言われてみて改めて気づくところはあります。要するに、負荷ある意味をいったん解除したものとして歴史を見たいということを表現しているわけですよね。先ほど小杉さんが「学園闘争」の話をされたわけですが、例えば「学園紛争」や「大学紛争」という言い方は、私はしないようにしています。「紛争」は、大学が荒れて困ると運動外部から判断する立場の言葉なので、それは使わない。「闘争」は、当事者が使っていたように、つまり、あるベクトルを持った主体の側から発する、そうした文脈を含んだ概念なので、自分も記述の際に使うことはありますが、今そのままでは通じないんですね。自分にも十全には腑に落ちないし、授業で話す学生にはたぶんもっと通じない。自分がやっていたことを「闘争」として語りたいのであればそれを使えばいいと思うんですけれども、やはり私自身は当事者に憑依するのではない視点から過去の運動を見て、闘争が置かれた文脈を含めて再構成して考えたいという立場設定をしたい。だから「社会運動」という語を選んだのかもしれないと改めて感じました。

 

仲田さんは国民国家に対応する平面としての社会について指摘されていました。それは妥当だとは思うんですけれど、一方で、社会学の系譜にある別の考え方として、人と人が手を結ぶことが社会だというものもあると思います。私の社会の定義はこちらです。そういう意味でいうと、厳密には、「反社会」は成立しない。既存の社会に抵抗する、変える、別の社会をつくる、これらのこと全体を社会運動という概念で包括して議論していいのではないかと考えているところがあります。ただし、そのさいに、既存の文脈を引きずらないかたちで理解する、再構成する、あるいは想像力をつくるということを、この媒体で私はやりたいのかもしれません。

 

一方、箱田さんからはいろいろな重いテーマを提起していただいて、宿題が増えたという感じなのですが、絓秀実さんについてお話したいと思います。私は1巻で小熊英二の社会運動史の考え方を批判したんですが、そのなかの注で、小熊英二と絓秀実は裏返しの関係だと書きました(「私の運動史研究宣言」)。小熊英二は、1960年代の社会運動についてある思い込みがあって、それをもとにした像を「嫌だ」と言っているのにたいして、絓秀実もある思い込みがあって対抗的にそれをそのまま出してくる。

 

もちろん、出来事のディテールや歴史的事実の量という意味では、当事者世代である絓さんのほうが詳しかったりするんですけれど、思い込みで「党派ならこうだ」と論じたり、あるいは「68年」に「革命」という単語を貼っておけば安心してしまうような図式の中で議論を展開しているところがあるとも思っています。ベ平連についての理解はその例です。ベ平連については、ディテールからもう1回組み立て直して論じないと辻褄が合わないところはたしかにあって、絓さんが「共労党とべ平連は深い関係がある」と言ったことは貴重な問題提起です。でも、その関係を党派の浸透だからよくないと切って捨てるのではなくて、それがなにを意味するのかを考えたい。つまり、ノンセクトが中心になった解放だったというような、あるいは欲望で駆動されたというような「68年」観を、「共労党とべ平連は深い関係がある」というスキャンダリズムで壊すのではなくて、共労党もベ平連も視野に入れつつ、内実のある「68年」像の再構成をおこなうというのはどういうことなのか。ここに関心があります。

 

さて司会に戻って、以上、コメンテーターのおふたりにたいして編者からリプライを試みましたが、コメンテーターのおふたりからなにかありましたら、発言をお願いします。

 

仲田 箱田さんのお話がすごく刺激的で、うかつなことをたくさん言いそうになってしまうんですけれども、ひとつだけ、松井さんのリプライに応答したいと思います。先ほど松井さんは、人と人が手を結ぶことが社会であると言われました。一方では理解できるのですが、しかし他方では同意しがたいというか、実際には、そこにはさまざまな、非対称な権力関係があるわけです。わたしが追いかけている「住民運動」でいえば、運動はなにか実現したい理念が先にあって、そこに集った人びとによってはじまるわけではありません。具体的な、望んだわけでもない状況に置かれた人びとが、どうしようもなくてはじめます。そのとき、既存のものとは異なる、新しい概念や言葉を発明すること、別の想像力と現実を立ち上げることがどうしても必要になります。そうした営為を前にしたときに、抽象的に、人と人が手を結ぶことが社会だと言ってしまうと、すくいとれない部分があるのではないかと思いました。

 

松井 仲田さん、ありがとうございました。箱田さんからは今はとくにないということなので、参加者のみなさんとのあいだで議論を進めていきます。きょうは、本書に執筆していただいた方や次巻でお願いしようと思っている方、関係者の方などが見えていますので、ぜひご発言いただきたいです。

 

分野間、世代間の対話をどう図るか

 

塩川伸明 年長者の一人として、若干の感想を述べさせてください。たくさんありますれども、できるだけ手短かにお話ししたいと思います。

 

まず、この「『1968』を編みなおす」の中に山本義隆さんの文章があって、『かつて10・8羽田闘争があった』(10・8山﨑博昭プロジェクト編、合同フォレスト、寄稿編は2017年刊、記録資料篇は2018年刊)という本からたくさん引用されていますが、『寄稿編』からの引用箇所のひとつに、イニシャルでS氏と表記されている文章があります。このSというのは私です。だからどうだということは、この場ではとても言えないので、ここはただ単に、そういう関係があるということだけをお伝えしておきます。

 

次に、「社会運動史」という言葉の使い方についてです。確かにこれは68年当時はほとんど使われてなかった言葉で、あとになって広まったということは、仲田さんのおっしゃるとおりだと思います。その際、仲田さんは「社会運動」という言葉は社会学者たちによって80年代ぐらいから使われだしたのではないかとおっしゃっていましたけれど、歴史学の世界ではもっと早くて、70年から85年にかけてまさしく『社会運動史』というタイトルの雑誌が出ていました。これは東大の西洋史専攻の人たちが中心となっていた雑誌ですが、京大系の人たちも一部関与していました。これは68年前後には全共闘系だった人たちが、闘い破れて、大学に舞い戻るなかでつくりだした雑誌なわけです。彼らは70年代に30歳前後だった人たちですから、今でもまだ現役で活躍している人も少なくありませんし、業績も多いので、日本の西洋史研究のなかでは大きな位置を占めていました。今回の『社会運動史研究』をやっておられる方の多くは社会学畑の人のようですが、社会学畑と西洋史畑のあいだであまり交流がないように見受けられるのは残念です。できればどこかで対話ができたらいいのではないかと感じます。これが分野間交流ないしその欠如の問題です。

 

もうひとつは、世代の問題です。箱田さんは私より2世代ぐらい若いかなと思うんですけれど、私にも分かるような話をされて、この辺までは話が通じるのかなという気がしました。一例として、絓秀実さんの名前が出てきました。私も彼の『1968年』は読みましたが、よく分かる面と、「そう言ってもなあ」と突き放したい面と、両方あります。いずれにせよ、結論はともかく問題設定は分かる。しかし、おそらく、今のもっと若い世代は、問題設定自体が分からないのではないか。そう考えると、「1968」当事者だった年寄り世代、中堅世代、さらにもっと若い世代と、この3段階ぐらいの世代があって、第1と第2の間ではまだしも話が通じるけれども、第3まで含めた世代間交流は難しいのではないかという気がします。この点をどう打開していくのかということは大変重要な課題だと思います。

 

暴力の問題をどのように記述するか

 

松井 次に発言を希望されるかたがおられないので、コメンテーターのおふたりから言及もありましたし、ピープルズ・プラン研究所から参加されている天野恵一さん、もしよろしかったら一言お願いします。

 

天野恵一 箱田さんがこの本のキーワードとして4つ挙げていたなかに、暴力がありました。そして当てはまる論文として、嶋田美子さんの現代思潮社と美学校についての論考を入れていますね。それはそうなんですけれど、これを読んだとき、僕は逆の印象を持ちました。固有名詞で言えば山口健二さんや松田政男さん、太田竜さんといった、60年安保のあとに自立学校や東京行動戦線などの一連の長い流れがあって、それが68~69年のいわゆるノンセクトの暴力的潮流の源泉になったわけですね。それがよくわかるように人脈の流れが書かれてはいるんですが、実際に、すさまじい暴力闘争のいろいろな局面を先導するような機能を果たした流れでもあるので、嶋田さんの記述では、逆に暴力という問題が薄まっている印象を受けました。エピソードとして紹介されていますが、ものすごく重たい問題なわけです。ノンセクトの文化で言えば反日武装戦線がひとつの典型ですけれど、時代を決定してしまったような武装闘争のある種の質的な源泉だったはずなのに、これだと逆にそうは読めない。すごく面白く読みましたけれど、暴力という点についてはそれが問題であること自体が読めないと感じました。

 

あと、阿部小涼さんの論文については、僕は新崎盛暉さんとは、けっこうあとの時代に沖縄でいっしょに闘争をやるなかでお付き合いをした関係がありました。古屋能子さんには会ったことはないんですけれど、ベ平連で古屋さんと一番親しかった福富節男さんとは長いつき合いがありました。

 

いろいろ話を聞いていますが、例えば、新崎さんは東京から沖縄に戻って骨を埋めたことになるんですけれど、彼は、ヤマトのほうでやるべきことがあるだろうという問い掛けを常に発していたわけですね。沖縄でエネルギッシュな闘争があると、本土から活動家が来て、「沖縄を支援して連帯する」と言ったりする。そういうようなものの言い方に対する反発が常にあって、沖縄のエネルギーに依拠して物を言うのはやめてくれというのが基本的なスタンスでした。沖縄の構造的差別という言葉は彼が最初につくりだしたわけですが、運動も構造的な差別関係にあるということを前提にして付き合えというのが、彼が発していたメッセージでした。そういう考え方と古屋さんの行動との接点で起きた問題という側面があると思います。新崎さんがまだ生きていたら反論を聞いてみたいと思った文章でした。

 

それと、「古屋のオバハン」と古屋さんが呼ばれていたことについて、阿部さんは「不快ではあるが、黙ってそっと脇に置いておこうと思うような、そのようなジェンダー経験だったのではないかと私は想像する」と書かれていましたが、ベ平連の人たちは非常に親しみを込めて「古屋のおばさん」って古屋さんにたいして言っていました。古屋さんと長く一緒にやっていた福富さんも「古屋のおばさん」って、私によく言っていました。そういう人たちにとって、「おばさん」って呼んだことの意味がこのような意味合いで受け取られていることを、どんなふうに読むのかということも、少し気になりました。

 

社会運動アーカイブズの存在

 

松井 今日は、いまお名前出ていた阿部小涼さんも参加されています。来月にもう1回オンラインイベントを開催する予定になっていて、そのときのメインパネラーを阿部さんにお願いしているのですが、せっかくなので阿部さんからなにか一言あればお願いします。

 

阿部 今回いただいた宿題については次回のイベントでお話しするということにして、簡単に本全体の感想を言いたいと思います。ひとつは、仲田さんがおっしゃっていたことでもありますが、この本は、アーキビストやアーカイブズは非常に重要だということがきちんと伝わる媒体であることを、重ねて強調したい。今日のイベントにハワイイ大のパトリシア・スタインホフさんがいらしていますね。初めてお会いします。スタインホフさんがハワイイ大学でやっているアーカイブズがなければ、私は今回の論文を書くことができませんでした。立教大学共生社会研究センターの平野泉さんの努力がなければ、私たちは仕事ができない。それがよく表れていて、素晴らしい本だと思っています。

 

それから、さきほどから、68年をめぐって「社会運動」という言葉の定義の話が出ています。その話をえんえんとし続けても楽しいんじゃないかなと思いながら聞いていたんですけれど、多くの人が「社会」と「運動」という言葉をさまざまに受け止めながら、その運動の中に巻き込まれているわけですね。そういうことがよく伝わって、面白いなと思いました。

 

松井 それでは、話の流れで、パトリシア・スタインホフさんがいらっしゃっていますので、もしよろしかったら何か一言お願いできればありがたいです。

 

パトリシア・スタインホフ 阿部さんがおっしゃったように、ハワイ大のアーカイブズでは、60年代の運動やそれ以降の日本の運動の資料を多く所蔵しています。ただ、これは、最初から私たちが集めたわけではなくて、もともとは高沢皓司さんという運動家であり評論家であるかたが自分で集めた資料をハワイ大に寄付したものです。私がお世話係になって整理していますが、最初に資料を集めた人と整理している人では、やっていることが違います。運動に関わっている人たちが最初に資料を大事にして守らないと、あとの時代の私たちは何もできません。だから、運動に関わっている人たちに感謝しています。

 

松井 それでは、もうお一方、お願いします。

 

時代制約的な言葉としての「学園」「大衆」「社会」

 

池田祥子 さっき小杉さんが「学園闘争」や「大衆」という言葉にたいする違和感を言われていました。これはやっぱり時代や世代に関わるのかなと思います。まず「学園」については、学校には小中高大があって、大学も国立大学、私立大学、いろいろあるなかで、大学を頂点とする学校体系全体を意識した言葉として、「学園」が当時は当たり前に使われていたんですよね。そういう時代的な言葉だということを改めて感じました。今は総体としての「学園」というような言葉はもうなくなっているなと。

 

もうひとつは、当時の学生運動あるいは革命運動の部分性というのか、一面性というのか。エリートのものだったわけですよね。大学生はやっぱりエリート意識があった。革命運動も、政治や国家権力に革命を起こす政治運動という意味で、エリート的だった。そのときに、「大衆」は語りかけ、呼びかけていく対象でしかないというような図式、権力的な図式がもろに出ている言葉だと思うんですね。

 

「社会」という言葉は、翻訳語だから明治時代からあったと思うし、社会科学といった言葉はそれまでも使われていたけれど、国家権力に革命を起こす運動、前衛の運動、そういうものしかなかった60年代当時に、主体的に政治闘争や革命運動に参加している人間たちが、国家に収斂されていくのではない、相対的に分離した社会を発見していった。私の場合は、平田清明の市民社会論や構造改革的な陣地戦といった側面から「社会」を再発見したことに連なるんだけれど、国家に必ずしも収斂していくわけではない、人間たちのさまざまな有機的な自立的な運動体、その場所、世界というようなイメージで、社会や市民社会という言葉が改めて浮かび上がってきたのかなと感じます。

 

また、大学闘争の直前、所美都子さんが女性解放の問題をすでに提起されていたし、東大の青医連の運動なども障害者運動ともろに関わっていました。70年代以降に出てくるさまざまな「社会運動」といわれるようなものも、60年代にも当然あったわけだし、大学闘争のなかにもありました。けれども、あの当時はやっぱり、そういうものが「政治闘争」や「政治運動」、「革命運動」の中に吸収されて見えなくなっていたんだと思います。

 

70年代になってきてから「社会運動」が改めて焦点化されて、問題意識として浮上してきたのかな……、その意味では、政治的、時代的な流れの中で出てきた概念だと思います。だからこそ、「社会運動」とはなにかというテーマは、これからも是非、継続して議論してもらいたいと思います。

 

全共闘運動をどのように編みなおすか

 

松井 それでは、強引な指名になってしまいますが、日大全共闘に関わられて、それだけでなく自分たちの記録を残そうとこの間ずっと動かれている三橋俊明さんも今日はいらしています。もしよろしかったら発言をお願いします。

 

三橋俊明 それでは、短くお話しさせていただきます。今回の巻はタイトルが「『1968』を編みなおす」となっていますが、そのテーマを聞いたとき、僕の頭の中に問題意識としてよぎったのはこういうことだったんですね。僕は日大全共闘ですけれども、日大闘争は「民主化闘争」だという言われ方をしました。東大の場合は「自己否定」や「帝大解体」がスローガンになりました。ほかにも、全共闘運動のピークは69年と言われていますけれども、69年には、各大学のなかにはベトナム戦争に反対するというスローガンで全共闘運動をつくっていった人たちもいました。そんなふうに、大学や高校ごとに全共闘が掲げていたスローガンや目標には多様性がありました。

 

運動という側面から言っても、たとえば、小杉さんの本(『東大闘争の語り——社会運動の予示と戦略』新曜社、2018年)を読んでいてつくづく感じたんですけれど、東大闘争のなかでスト権を確立するには、自治会で一生懸命多数派工作をして、多数派になったときにやっとストライキが打てるというような、いわば戦後民主主義のルールの中での運動でした。日大闘争では、そんなルールは関係なかったんですね。「きょうからストライキだ」と学生が言ったら、ストライキになった。日大全共闘の議長も選挙で決まったわけではなくて、秋田明大は「僕がきょうから議長だ」と言った瞬間に全共闘の議長になったわけです。そのようにしてバリケードストライキも三役も決まっていったわけです。ほかにも早稲田大の連中なんかに話を聞くと「われわれは社会主義政権下での運動しかできなかったんだ」という。どういうことか聞くと、「革マルがあまりにも強過ぎて、われわれが大学内で自由に運動をすることができなかった」という言い方をします。そのように、運動の側面から見ても、全共闘運動は複雑だったんです。

 

でも、今われわれ世代の経験を多くの人たちが語るときには「日大・東大闘争」といわれたり「全共闘運動」といわれたり「1968年の運動」という一枚岩の出来事として語られるわけです。そうだとするなら、われわれ当事者は、全共闘運動の重層的で複雑だった側面や運動の多様性をどう正確に編み直して現在に伝えていくのか。編み直す中で、いったいなにが今の社会的な課題として見えてくるのか。またどうすれば今後の社会運動にとって有用な経験としてすくい取ってもらえるように編み直せるのか。そうしたことが問われているように感じました。

 

そのような意味で、僕たちの全共闘運動の経験はもっと編み直す必要があるし、丁寧に編み直すことができれば、これからの運動にとって役立つ「社会運動史」として、そのエッセンスをすくい取ってもらえるんじゃないかなと、僕としては思ったわけです。

 

大野 三橋さんが編み直す中でなにが見えるのかとお話されるのを聞いたときに、パッと直感的に思い浮かんだこととして、新型コロナウイルス感染症の拡大状況のなかで、大学の自治がすごく重要になっているということがありました。今、私が大学で働いているなかでそれを感じています。学生の声やそこで働く教職員の安全を最大限考慮して、どのような授業や大学運営をできるのかが、各大学で問われていると思うんですね。

 

学生が学費の減免などを求める運動が、横につながりながら展開されている状況があり、私の働いている大学でも学生が運動を始めていて、それは「開学以来だ」と言われています。また、このパンデミックのなかでどのように働くかということは労働問題そのものであり、労働運動史やこれまでの労働運動の蓄積やノウハウをどのように現場で生かせるのかという、切実な課題でもあります。私は今こういう危機的な状況の中で運動史研究をやってきてよかったと思っていますし、現在進行形の社会運動研究をやってきて非常によかったなというふうにも思っています。そういう研究の実践性を感じざるを得ない状況にあるということを、とりあえず一つの応答としてお伝えします。

 

論争的なものとして「社会運動」を打ち出す

 

松井 次に、今手を挙げられた森さん、お願いいたします。

 

森啓輔 森と申します。僕も社会学者で、沖縄の運動と統治の研究と、ドイツの運動についての研究もやっています。僕も楽しく『社会運動史研究2』を読ませていただきました。編著者の皆さんにたいするコメントがひとつあって、分析概念としての社会運動を、もっと論争的に打ち出してもいいんのではないかと思っています。今の段階だと、かなり包括的な捉えかたになっていますが、編者の皆さんや寄稿する著者の皆さんが闘っている現場のなかで、もっと論争的に社会運動を規定するのでもいいし、なんでもいいんですけれど、概念を打ち出していいんじゃないか。今だと、その打ち出し方が若干弱い。そのために、2冊目まで出たけれど、どういうものとして読んでいいのかわからないって思っている人はけっこう業界にいるんですよね。運動をしているほうもそうだし、研究者のほうもそうだと思います。今日は、そのあたりのことだけ一言言いたいと思いました。ありがとうございました。

 

松井 ありがとうございます。今の点ですが、ひとつには、編者3人がそれぞれ違う方向を見ているということがあるかなと思います。ギリギリと先鋭的に社会運動の概念を詰めようとすると、内部が分解してしまう可能性もあるかもしれない。ただ、似たような感想はほかのかたからもいただいています。1巻に書いていただいた伊藤晃さんは、共産党運動史の研究をされている方ですけれども、「広い意味での新左翼総括の雑誌になるのか、あるいはアカデミックな雑誌になるのか、そうではないものになるのか、まだよくわかりません」という趣旨の感想を、私信ですけれどもおっしゃっていました。現段階ではそれらに全部足を掛けた状態ですので、それこそ内側から発酵するのを努力したほうがいいかなと思っています。

 

大野 ちょっとだけいいですか。

 

松井 それでは、時間も終わりに近いので、大野さんと小杉さんから話して、最後コメンテーターから一言ずついただいて、終わりにしようと思います。じゃあ、大野さん。

 

大野 いまの森さんの問題提起をすごく重く受け止めました。箱田さんが『情況』の総目次を見たときに翻訳記事がたくさん掲載されていたとおっしゃっていて、非常に重要だなと思いました。いま、音楽雑誌から思想系の雑誌まで、日本のいろいろな雑誌が立て続けにブラック・ライヴズ・マター運動の特集を組んでいます。私もアメリカでの調査をこの4~5年続けているので、関心を持っています。アメリカの言説空間を見ていると、現場で闘っている人たちと足並みをそろえるように研究者はいろいろな分析をし、概念や理論をどのようにつくり、現場に還元できるのかという問題意識を非常に強く持っているのだと、皮膚感覚として感じています。日本国外において、運動と研究者の作業がどのように連動しているのかという点にもアンテナを張りながら、日本において運動史研究を誰と、どのように手を携えてやっていくのか、『社会運動史研究』はなにを切り開くのか、自覚的に考えていかなきゃいけないと思いました。今日はありがとうございました。

 

小杉 今日は長い時間おつき合いいただいて、本当に刺激的な議論になりました。ありがとうございました。この『社会運動史研究』をがんばって続けていこうと思いました。

 

投げ掛けられたものが大き過ぎて、整理したかたちで答えられないんですけれど、わたしのさきほどのリプライのなかで言いそびれてしまったことがありました。箱田さんが本書の論文を位置づけるために挙げられていた、運動を現在化させる記述の4つのキーワードというのは、非常に面白いと思いました。痕跡と全体性と暴力と時間のなかで、いま、とくに全体性というのが気になっています。人生全体が闘争になってしまうようなことを、全体性は指していると、箱田さんはおっしゃっていました。「68年」の学生運動に参加していた人たちにわたしが惹かれる理由に、人生全体が闘争になってしまっている人が多いということがあります。わたしにはそのような側面が非常に「1968」的なものとして見えるので、全体性というキーワードが出てきたときに、重要なことだし、「1968」にたいするそれ以外の見方はあるんだろうかと、直観的に思ってしまったぐらいでした。非常に重要な概念であり見方なのではないかということを、さきほどは言い忘れてしまったので、ここで伝えておきたいと思います。

 

松井 それでは仲田さんから、最後に一言をお願いします。

 

仲田 今日はどうもありがとうございました。いろいろな意見が聞けて、それだけで楽しかったです。箱田さんから論争的な主張があって、それについてあまり議論できなかったのがちょっと残念でしたが、すごく面白かったです。次号も楽しみにしています。

 

箱田 最後に森さんも言っていましたけれど、分析概念としてではなく「社会運動」という概念をどういうふうに捉えるのか。これは大きな問いですね。いまドイツの気候変動にかんする運動のことを調べているのですが(箱田徹、2020、「採取――現代思想と気候変動の蝶番」『現代思想』48(5): 198-206.)、いざ記述しようとすると、学問のフォーマットにあてはまれば書けることは十分わかるけれども「それやったら面白くないんちゃう」と感じさせられることしきりです。現場で起きている面白いことをその面白さのままに書くのは、とても難しいですよね。

 

松井 ありがとうございました。今日はいろいろな意見が出ました。それがひとつに収斂してカタルシスを得るという感じでは、もちろんないわけですけれども、それぞれが運動史を考えて、記述して記録に残すという営みを広げていけたらなと思います。私たちの本はひとつのプラットフォームではあるわけですけれど、誌面の限界もあって、いろいろ載せたいけれども載せきれないというところはあります。ぜひ皆さん自身で、いろいろ紡いだり記録集めたりしていただいて、手を携えながら豊かにしていきたいに思います。

 

今日はありがとうございました。

 

(了)

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コメント: 1
  • #1

    片山健志 (木曜日, 07 7月 2022 09:49)

    大変興味深く読ませて頂きました。68年と言われているものの全体を党派とノンセクトという視点から見るのは一面的な党派的視点になると思います。68年自体60年的な党派性の総括という側面があったのだしそれは、党派、ノンセクト共通に課題とされていたものでした。その重さこそが68年を編み直す中心でもあると思います。